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茶原の竹舟(ちゃばらのたけふね)in 川根
by 日詰明男
2009年7月17日

茶畑のど真ん中にフィボナッチ茶室を建てた。
工期2日間。
広島千葉京都東京と遍歴を重ねた茶室だったが、ようやくここに落ち着いた。

目の前の茶葉を摘み、強烈なハーヴティーをその場でこしらえる「茶道」のかたちが見えてくる。
音楽もここで奏でられ、録音されることだろう。

いずれ、この茶室にアプローチする民主主義的階段も建設する予定である。
この階段の準周期リズムは飛石の代わりになるであろう。
客人は茶葉を摘みながらゆっくり階段を登り、心を静かに高揚させつつ躙口をくぐる、という趣向である。
ゆくゆくは、周囲の茶畑をニューロ・アーキテクチャ状に整備し、迷路庭園として仕上げる構想。
これはひとつの都市計画の実験。
最初の住人はチャノキというわけである。
植物にとっても風通しのよい街となるであろう。

いずれにせよ長期計画。
長生きしなければ。


|| 06:40 | comments (x) | trackback (x) | ||
アトランタでピアノ・リサイタルを聴いたのだが
by 日詰明男
3月14日、アーティスト・イン・レジデンスのホストが息抜きにピアノリサイタルに連れて行ってくれた。
奏者は2度もショパン・コンクールで優勝したという中国人ピアニストYundi Liである。
チケットを見ると$40とあり、いい値段である。
会場はアトランタ市街のど真ん中に位置するジョージア工科大学キャンパス内にあるコンサートホールだった。
私たちは無料の立体駐車場に車を停め、会場へと向かった。
ジョージア工科大学のキャンパスは大変広い。自動車で相当走っても敷地から出られない。
建物も立派である。
地方の州立大学にしては規模や設備が抜群に充実している。
これもコカコーラ社がかなりサポートしているのだそうだ。
かなり優秀な卒業生を輩出しているという。

会場はほぼ満席で、アメリカにいることを忘れさせるほど多くの中国人が占めていた。しかも家族連れが多い。
教授や学生など、この大学の関係者も多いのだろう。
ここでも中国の勢いを感じた。

演奏はモーツアルト、ショパン、リストと息をつく暇もなく続く。
すべて暗譜で弾かれ、めいっぱい緩急をきかせた演奏だった。
音量も、拡声器を併用しているとしか思えないほど大きく、最初はそれが気になって仕方がなかったが、彼の演奏スタイルからすれば音量の幅があればあるほど表現の自由度が広がるので歓迎しているのだろう。
高いところにある水ほど利用価値が大きいことと同じである。
とにかく音量、テンポ、スタイルなどすべてにおいて変化に富み、刺激的である。
まるで奔放な草書体による書道作品を見ているような感覚だった。

前半の見事な演奏が終わり、すごい拍手が沸きあがった。
私の隣の中国人女性はすかさずスタンディング・オベーションをしたのでちょっとたじろいだ。

休息を入れて後半はムソルグスキーの「展覧会の絵」が演奏された。
奏者は信じられない正確さと指圧で鍵盤をたたきまくる。
いよいよクライマックスにさしかかろうというとき、なにやら騒音のようなものが聞こえ始めた。
雷か?
ときおり非常灯もちらつく。
やがてその騒音はどんどん大きくなり、明らかに外は雷雨であることがわかった。
雨の音もはっきり聞こえる。
ステージではまるで外の雷雨と戦いを挑むような彼の演奏が続く。

しかし、やはり豪雨の音はすさまじく、演奏者も聴衆もどこか集中力を失った感は否めなかった。
音楽会としてはアンラッキーなことである。
雨の音が聞こえるコンサート会場なんて意外に安普請なのだなあとそのときは思った。

ようやく演奏が終わる。

ほとんどの聴衆は立ち上がり拍手する。
私も前が見えなくなったので仕方なく立ち上がった。
先ほど立ち上がった隣の女性は今度は立ち上がらない。
演奏に感動できなかったのであろう。
どうせ外は雨だし、できればアンコールを聞きたいという不遜な動機で、私も拍手に参加した。
演奏者は2回ほど出てきたが、結局盛り上がりに欠け、拍手は途切れてしまった。
なんとなく不完全燃焼の気分を残して、私たちは会場を後にした。
外に出るともう雨は上がっていた。

ダウンタウンは緊急車両のサイレンがずっと鳴り響いていた。
なにか事故でもあったのだろうか

その晩床についた後も、遠くからサイレンの音が一晩中聞こえた。
私はついに幻聴が聞こえるほど耳の調子がおかしくなったのかと自分の体を心配したほどである。
あるいはその日あまりに多くのサイレンを聞いたため、本当に幻聴として残っていたのかもしれない。

アトランタのダウンタウンでトルネードの被害があったことを知ったのはその数日後である。
ちょうど私たちが呑気にコンサートを聴いているころ、トルネードはわずか1マイル先のオリンピック記念公園で発生し、大きな被害を残していった。
たまたま進む方向が当たらなかっただけで、私たちが被害を受けていても全然不思議はなかったのである。

トルネードは人類が森林を伐採し、広大な芝生の公園を作ったり、過密な摩天楼を作ったりしたことが原因だと言われる。

さらに思い当たる節がある。
着陸前の飛行機から見る風景にはその国の価値観が見て取れるものだ。
たとえば、成田上空では山の頂の大半が虫食いのようにゴルフ場開発されていることが目立つ。これは水源に毒を撒いているようなものであろう。
中国広州に降り立ったときは、都市のいたるところで溶接のスパークが見えた。中国の土木建設がいかに盛んであるかを物語っている。
ニュージーランドに下りたときは穏やかな湾に無数のヨットが浮かんでいた。
アトランタ上空では、以前ブログに書いたように、郊外宅地開発が進んでいることが目に付いたが、そのほかにもう一点特徴的なことがあった。それは高圧送電線の異常な多さである。おそらく大半はどこぞの原子力発電からの調達で、気前良くばんばん使っているのであろう。
昨年、真夏のアトランタ空港で乗り換えたとき、空港内は真冬のように寒く空調が利き、洗面所の水道からは熱いお湯が出てきてびっくりしたものだ。
こうしてアトランタは上昇気流が非常に起こりやすい地勢となっているのだろう。

アトランタのビル

左の写真は多くのガラスが剥げ落ちた摩天楼である。(John Portman設計)。
風によって剥がされたのではなく、おそらく気圧差で一種の爆発が起こったに違いない。
おそろしいことである。
高層ビルのカーテンウォールは、内部から外部へ向かう力に対して非常に脆弱であることが明らかになった。

こんな状態でもビル内部は通常営業していた。
壊れた窓はすべて合板で塞がれていた。
飛ばされたガラスは広い範囲に被害をもたらした。
残されたガラスも未だ落ちるおそれがあるため、現在もなお立ち入り禁止の街路は多い。


|| 07:27 | comments (x) | trackback (x) | ||
カテゴリー3:宇宙的ナンセンス
by 日詰明男
前回、カテゴリー3の労働について書いて思い出したことがある。

まだ学校に上がる前のこと、山国で生まれた私にとって、年に一度海水浴で目にする「海の水平線」は不可解きわまりないものだった。
海の果てを一度でいいから確かめてみたいとずっと思っていた。
そして家族旅行で海へ行った折、私たちは遊覧船に乗り、ついにそのチャンスが訪れたのである。

船窓から水平線をずっと見つめていると、希望的観測も手伝って、水平線がだんだん近づいてくるように感じたものだ。
やがて岸が前方に現れ、港に着いた。
船を下りたとき、「なんだ、海の果ては意外に近いな」と思った。
後日、保育園の友達に「僕は海の果てに行ってきた」と自慢したのは言うまでもない。

山登りを趣味とする伯母が家に遊びにきたときのこと、伯母は富士山に登った話をしてくれた。
頂上は空気が薄いということ、そして大勢の人が登るから大変な混雑であることを聞いたとき、僕は「それは大変だ。空気がなくなってしまうではないか」と言った。
伯母は「自然はそんなに小さくないから大丈夫」と言って笑った。

こうした子供じみた発想は今となっては笑い話である。
ところが大人になっても笑うに笑えない似たような話がある。

先日、太平洋に面した海岸を訪れた時のことである。
その海岸では、おびただしい数の鉄製型で、数えきれないほどの巨大コンクリート製ブロックを大量コピー生産し、片っ端から海に沈めていた。
聞けば太平洋の荒波からの侵食を食い止めるために、毎年こうした護岸工事をしているのだという。
見回すと岸辺に人家があるわけでもなく、別段さしせまった状況ではない。
国土地理院発行の地図を書き換えたくないという国家の執念だろうか?
”自然”万事塞翁が馬。
たとえここの海岸が侵食されても、別の海岸には砂丘が築かれるであろう。
自然は大抵帳尻が合うようになっている。
大海の摂理に人間が立ち向かうなど無謀行為も甚だしい。

この公共土木工事で、膨大な資材、膨大な重機、膨大な燃料、膨大な人手が海の藻屑へと消えてゆく。
先ほどの富士山の話を借りると、頂上に空気を供給すべく窒素と酸素を適度に配合した空気ボンベをせっせと運び上げ、頂上で空にしては麓に持ち帰るという行政サービスをしているようなものである。

地元の人の話では、最高純度のコンクリート・ブロックを維持するため、抜き取り検査を怠らない念の入れようだとのこと。
こういう工事に限って、手抜きはないのである。

このような無意味な労働によって、関係者は経済的に潤っているのだろう。
こうしたことに税金が使われていることに国民は怒ってしかるべきである。
だが批判の矛先を当事者に向ければ済むほど浅い問題ではない。
被告もまた、税金にたかることを余儀なくされている不憫な人々である。
仕事の内容は精神的な拷問以外の何物でもないのだから。
以前、ソビエト連邦では政治犯に対して、毎日朝から晩まで、お椀に入れた砂を棒でつつく作業を強制したという。
どんなに強い精神の持ち主も、無意味な行為を延々とさせられると、いずれ発狂してしまうのだそうだ。
身体を傷つけず、十分な食料も与えながら、ジュネーブ条約に違反することなく、確実にじわじわと精神だけを壊す方法である。

どんなに経済的な見返りがあったとしても、「無意味な行為」に対して人の心は強くできてはいない。
志を失った製造業、土建業の人々の心は想像以上に病んでいるはずである。

つまるところ、この護岸工事で誰も幸福になっていない。
生態系ももちろん壊している。
宇宙的ナンセンスとはこのことである。

この種の労働が昨今あまりにも多いのではないだろうか。


|| 09:42 | comments (x) | trackback (x) | ||
民主主義的階段
by 日詰明男
民主主義階段
アトランタの個人邸宅に76段の民主主義的階段を作った。全長80mである。
秩父、オハイオ、フィティアンガ(ニュージーランド)に続き、今回が4本目である。
途切れのない一連の階段としては、今までで最も長いものになった。
自然の勾配にしたがって緩急がつけられ、なめらかな抑揚が生まれるように設計した。
こうして階段の上り下りは、無意識下での一幅の音楽的経験となる。

素材は当初丸太を予定していたが、たまたまホームセンターで目にしたアムトラック払い下げの枕木に施主と私の心が動き、土壇場で枕木を採用することにした。
2.6mほどのものが1200円ぐらいで、日本国有鉄道のそれより数段安い。
アメリカ開拓時代以来、恣に森林伐採してきた後の廃材を、このような形で再び生かすことはとても有意味である。

今回の土木作業ではグアテマラ人が毎日手伝ってくれた。
一日少なくとも5段出来れば十分と思っていたが、彼らの活躍で3倍以上の早さではかどり、雨にたたられながらも完成まで1週間とかからなかった。
昨年コスタリカで覚えた片言のスペイン語が、彼らとのコミュニケーションにとても役立った。
彼らは非常によく働く。
早朝から日暮れまで、雨が降ろうがなんだろうが土曜も日曜もなく、愚痴ひとつこぼさず、朗らかに働いてくれるのはありがたい限りだが、複雑な気分である。
聞けば、彼らの就労は一応違法だとのこと。しかし事実上彼らの労働力がないと現代アメリカ経済は成り立たないので、公然のものとなっている。
彼らの賃金はけっして高くはないのだろうが、その大半を故郷に送金し、手元には殆ど残らないのだそうだ。
僕は彼らに言った。コスタリカへ行くべきだと。

着工前の測量と設計に十分時間をかけただけあって、施工の誤差はほとんどなく、最後の一段は予定の位置で収まった。めでたしめでたしである。

その後、アメリカで活躍されているランドスケープ・アーキテクトのTakeo Uesugiさんが訪れ、排水の便を工夫してくださることとなった。踏面にも砂利と木片チップを撒いていただく予定である。

写真は仕上げ前の状態である。

施主は既に何度も上り下りされ、民主主義的階段特有の快適さを実感していただいたようだ。
「登れば登るほど疲れがとれる階段」というキャッチ・フレーズもあながち誇張ではない。

この階段を作っていつも思うことがある。
一段一段作るのは根気もいるし、大変な重労働ではある。
でも作れば作っただけの甲斐があるということを、こんなに直接的に体感できるものもあまりないのではないだろうか。
特に民主主義的階段は、段数が多ければ多いほど効果的である。

努力が過不足なく報われる、ということ。
このあたりまえのことが通用しないのが現代である。

ここに4種類の労働がある。

1. やり甲斐のある労働で、経済的報酬も得られる。
2. やり甲斐のある労働だが、経済的報酬が得られないもの。
3. 無意味な労働だが、経済的報酬は得られる。
4. 無意味な労働ゆえ、経済的報酬が得られないもの。

カテゴリー1と4は自明であり、自然の法則に沿うものであるが、人間社会で特徴的なのはカテゴリー2と3の存在である。

カテゴリー2の場合の代表例として、あまりに先駆的な芸術や科学が上げられよう。誰からも理解されないゆえに経済は発生しない。しかし作者自身はその価値を確信しているから、達成したときの満足度はお金などでは量れないのである。

問題はカテゴリー3である。
年度末調整公共土木工事や戦争に代表されるように、お願いだからやめて欲しい労働に対して、法外に充実した手当てが出ている現実がある。
これは癌細胞にだけ栄養を送るような逆噴射治療に等しい。
彼らの経済的報酬には根拠が無く、いつ消えても不思議はないことを本人が本能的に一番よく知っている。
その不安があるからこそ、このカテゴリーに属する人は際限なく強迫的に富を独占しようとする。

周りがこういう大人ばかりだから、青年はこぞってカテゴリー3を志し、それを「勝ち組」と呼ぶ。
カテゴリー3に比べれば、「ひきこもり」の方がはるかにましだと思うのは私だけだろうか。

こうしてカテゴリー1に属する人々、たとえば細々と暮らす腕のいい職人が社会から消えていかざるをえないのは嘆かわしいばかりである。


|| 09:04 | comments (x) | trackback (x) | ||
鷺と鯉
by 日詰明男
今アトランタで寄宿している家の日本庭園には大きな池と小さな池がある。
両者は独立しており、かなりの距離を隔てている。

大きな池は水深も深く、沢山の大きな錦鯉が泳いでいる。
中庭にある小さな池は浅く、錦鯉の稚魚たちがそこに群生している。

困ったことに、今年から中庭の稚魚を狙って巨大な青鷺が舞い降りてくるようになったそうだ。
実際に10匹ほど食われたらしい。

家の主人が稚魚を守ろうと工夫しても、青鷺は裏をかいて鯉の稚魚を取ってしまうそうだ。

私はなぜ稚魚を安全な大きな池で飼わず、小さな池にわざわざ隔離しているのかを聞いてみた。
「数年前、不思議なことに」と家の主人ははじめに断ってから、「そもそも小さな池には何も入れてないのに、鯉の稚魚が自然と涌いた」のだそうだ。
今では体長10センチまで育っている。

去年も青鷺は来たが食べることはしなかったそうだ。

状況証拠から察するに、この鯉の卵を中庭の池に放したのは他ならぬこの青鷺だったのではないだろうか。
彼らは鯉の成長を楽しみに、養殖を試みたのではないだろうか。
そしてそろそろ食べごろだなと。

私は以前、鷺が撒き餌をして魚を捕獲している映像を見たことがある。
彼らなら養殖もやりかねない。

鷺は最も繁栄した鳥類で、世界中どこでもみとめられる。
その飛行性能の無駄のなさは、マグロのそれに匹敵すると私はかねがね感じている。


|| 12:25 | comments (x) | trackback (x) | ||
ひきつづきNASA TV
by 日詰明男
今回のミッションは4m×5mもの巨大な実験室モジュール「コロンバス」を国際宇宙ステーションに付け加えることのようです。
宇宙飛行士の船外活動は数時間におよび、ほとんど手作業の印象。
感情移入できて見る分には面白いですが、実際当事者が浴びる被爆量は相当なものではないでしょうか?
私には犠牲行為に見えてしかたがありません。

こういうところにこそ日本の繊細な産業ロボット技術が導入されるべきで、船外活動はできるだけ減らしてあげないと。
そもそも生身の人間が日常的に宇宙に行く必要もないと基本的には思います。
彼らの犠牲なくしては物事が運ばない現状を、科学技術者は恥じなければいけないのでは。

常に見切り発進してしまう科学技術の悲しい性といえるかもしれません。


|| 02:49 | comments (x) | trackback (x) | ||
アトランティス経由
by 日詰明男
シャトル
今アトランタにいます。
2ヶ月間滞在の予定。
ここの大富豪に招かれ、いわゆるアーティスト・イン・レジデンスとして制作を始めています。
ホストの敷地にさまざまな「数学遺産」をこしらえようという試みです。
作品は3月下旬、数学者を中心に集まる国際会議へ向けて披露されます。
ホストのご主人は数学通、奥さんは日本通というカップルで、そうした両者のアンビバレンツな要請から依頼を受けた次第。
ある意味、僕にとって願っても無い機会です。

アトランタは内陸ゆえ、寒くなったり、暑くなったりめまぐるしいです。
ここも以前は広大な森林だったのでしょう。
ところどころその片鱗が残っています。
針葉樹と広葉樹の高木が同じような枝ぶりで住み分けしており、この辺の植生を特徴付けています。
夕映えを背景にした木立のシルエットがとても美しい。

アトランタ着陸直前の機内から見たところ、住宅開発が非常に盛んであることが見て取れました。
アメリカ経済はいまだ堅調であることがうかがわれます。
森林を切り込むように袋小路の車道がS字曲線を描き、それに沿って葡萄の房のように分譲住宅が建ち並んでいる。住宅密度に多少の差はあれ、基本的にこの路線です。どの家も見事なほど玄関の前に芝生が確保され、アメリカ人にとってこの芝生はトイレ以上に必要不可欠なのではないだろうかと思ってしまいます。
上空から眺めるだけで、訪れずとも町並みが目に浮かびます。
紋切り型とはいえ、日本人から見れば大変豪華な建売住宅ばかりです。
森林はこうしたかたちで侵食されていますが、日本のそれよりはましでしょう。
癌にたとえるなら潜伏性か、進行性のちがいでしょうか。
アトランタ郊外の開発では、極力目立たないように森林が伐採されていますから、居住者は、上空から見下ろさない限り、まだ全然森林は破壊されていないという錯覚の中で静かに生活することができるでしょう。

アトランタは都市として見るべきものはほとんどありません。
コカコーラ本社があるので、世界中からの富が集まってきている感じです。
府中競馬場で潤う府中市民みたいなものですね。
コカコーラは現象的に見れば三大宗教をしのぐ最も成功した宗教だといえるでしょう。
これはもう途方も無い集金システムです。
いわゆるアメリカ道。
今寄宿している家はコカコーラの社長が以前住んでいたものらしい。
桂離宮を意識した家です。

テレビ番組は数え切れないほどあり、よく採算が取れるものだと思います。
その中で唯一NASA TVを見るのだけがアメリカへ来たときの楽しみかもしれない。
この放送は1997年にアメリカ滞在したとき既に放送されていて、宇宙から見た地球を延々と流していました。あの時もたいそう感心したものですが、今やますます内容は充実しているようです。
今回は幸運にもスペース・シャトルが宇宙ステーションとドッキングする時期に当たりました。
これを書いている今も二人の宇宙飛行士が船外活動する様子を延々とライブ中継しています。
船内にも監視カメラがあり、全米に流れます。乗組員にプライバシーはありません。

船外活動する宇宙飛行士の姿をさまざまな方向からカメラがとらえています。
その背景には曲がった地平線を描く巨大な青い地球がぐるぐると回転している。
ブラウン管を通しても空間のずばぬけた透明度が十分に感じられます。
なんという光の鋭さ!なんという輪郭!
文字通り、身を焦がすほど透明で無垢な空間がそこにある。
その透明感はやはりダイヤモンドのそれを連想しますね。

「つまりこの宇宙空間は安定性においてダイヤモンドよ
りもはるかに硬いのである。途方もなくカッキンカッキ
ンに結晶している。その硬い媒質を電磁波は伝播してゆ
く。私ならダイヤモンドより硬いこの空間をありがたく
買うだろう。空間はタダであるが。」
(空想数学小説「ジャガイモ宇宙の大航海時代」より)

我慢できず、アトランティスから見た地球をTV画面を経由して激写してしまいました。

アメリカ人の税金で飛ばしているロケットたちですから、NASAは十分に国民に還元してますね。
それにくらべて日本の宇宙開発は成果を小出しにしているとしか感じられないのは僕だけでしょうか。
大学の情報公開も然り。
僕は以前、とある国立研究機関にどうしても知りたいデータを公開してもらうように丁重な手紙をしたためたことがありましたが、返事はありませんでした。


|| 07:06 | comments (x) | trackback (x) | ||
竹の結晶・氷の結晶・月の結晶
by 日詰明男
茶室夜景
photo: T. Ninomiya

昨年11月1日から12月31日までの2ヶ月間公開された竹の茶室「星ボックリCAFE」の記録を下記にまとめた。(mp3や動画あり)
http://starcage.org/chashitsu/chashitsu_jp.html
この異例の個展では、建築、幾何学、音楽の統合にとどまらず、「食」に始まる生活全般を織り込み、多くの人の共感を得られたという手ごたえがある。
建築の工法から、料理法、所作までゼロから発明したといっても過言ではない。
茶室の中で客人と交わす会話も不思議と奥深いものがあった。

普段は、自作の音楽「Golden Bell Tower」をBGMとして流したが、時々、この茶室をリスニング・ルームとして使い、お気に入りの音楽に聴き入った。
たとえば以下のような作品である。

Terje Isungset "Igloo"
Terry Riley "Shri Camel"
Somei Sato "MANTORA"
Stravinsky "Le Sacre de printemps"
Ravel "Bolero"
Akira Ifukube "Symphonic Fantasia No.1"
Clanado "Ri na cruinne"
Steve Reich "Tehillim"
Anton Webern "Variationen Fur Klavier Op. 27"
Arvo Parto "ALINA"
SUAR AGUNG "Jegog"
Roger Eno "Voices"
Tangerine Dream "Phaedra"
King Crimson "LARKS' TONGUE IN ASPIC"
John Cage "Three Dances"
Glenn Gould plays Bach
Pong Pee Shaka "Frog Song", "Reniala"
Enigma "Return to Innocence"

とりわけTerje Isungsetによる氷の音楽 "Igloo"が茶室内では抜群の響きだった。
氷の音がこんなにも深く、美しかったとは。
青い満月の下で聞く氷の音色は、まるで空気中の水蒸気が一瞬にして昇華したかのような響きだった。
氷のキンキンに張り詰めた音色が、周囲の竹に反響し、一種呪術的と言えるほどの音響に包まれた。

氷と竹はともに非金属でありながら、金属結晶の響きと不思議になじむものだ。
竹には水晶の主成分である珪素(Si)が多く含まれており、竹炭が硬く、いい音色で鳴るのはこのためだとも言われている。
また、水晶が採掘されるところに竹林ありとも聞いたことがある。
竹は鉱物的な植物と言えるかもしれない。
カタツムリがコンクリート壁を這い、カルシウムを摂取しているのは有名だが、同様に竹の表面を好んで這い、同様の足跡を残すことを私は日常的に目にしている。

次はぜひ水晶かダイヤモンドの響きをこの中で聴いてみたい。
いやどうせ聴くなら準結晶の響きかな。


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星籠(スターケージ)テレビ出演
by 日詰明男
プレアデス
photo: Yukari Niizawa

今年の4月から始まったテレビ朝日系の深夜娯楽番組「さまぁ〜ず・さまぁ〜ず」の冒頭に、一瞬ですが僕の作品「星籠プレアデス」がアイ・ストップとして使われています。
これは昨年10月、東京丸ビルで展示した作品をそのまま転用したもの。
直径2メートルの巨大な星です。
テレビ番組の舞台制作を手がける会社の要請で、改めて組み立て直し、預けました。
3クール目に入り、ネット局も増えたようです。
いちどご覧ください。

放送データ
● テレビ朝日(EX) 毎週水曜 深夜0時45分〜
● 北海道テレビ(HTB) 毎週金曜 深夜1時10分〜
● 秋田朝日放送(AAB) 毎週水曜 深夜0時45分〜
● 福島放送(KFB) 毎週水曜 深夜1時20分〜
● 新潟テレビ21(UX) 毎週水曜 深夜0時45分〜
● 北陸朝日放送(HAB) 毎週水曜 深夜0時45分〜
● 山口朝日放送(YAB) 毎週木曜 深夜1時11分〜
● 琉球朝日放送(QAB) 毎週木曜 深夜1時10分〜


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コスタリカの印象
by 日詰明男
S様

軍隊を持たず、決して多くない税収を惜しみなく教育や医療、福祉に使うコスタリカの現実を知れば、世界中のいたるところで市民革命が頻発するかもしれません。
だから大国の指導者はコスタリカを無視するか過小評価しようとするでしょう。

しかし、先日の国民投票の結果によると、アメリカによるコスタリカ引きずりおろし戦略はじわじわと進んでいるようです。

・・・・

「スローライフ」といえば、僕は昔から発酵現象に興味があって、食べ物も発酵したものが好きです。
熟成にどうしようもなく時間がかかるというところが好きなのだろうと思います。
待てば待っただけの甲斐がかならずあるのですから。
睡眠も一種の発酵なのだと思います。
「モナリザ」なんて発酵の極みですよね。
熱帯雨林の生態系も、一種巨大な発酵現象だと感じました。
唐突に聞こえられるかも知れませんが、「黄金比は幾何学的発酵だ」と以前から考えているのですよ。


|| 22:34 | comments (x) | trackback (x) | ||


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