2010-04-05 Mon [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
G4G9の主催者であるTom Rodgers 邸は人の出入りが激しい。背中にフラクタル図形の模様が描かれたTシャツを着た老数学者が子ども3人と大人の女性一人を連れてやってきた。
男の子のうち年長の2人は中学か高校生ぐらいの兄弟。
一番年下の子は、メガネをかけていてハリー・ポッターそっくり。
常に付き添っている女性は、その子の母親らしい。
その子は12歳になったばかりで名前をニールと言った。
僕は歳を聞いて二重に驚いた。
というのも、しゃべり方はほとんど大人だし、それに比して見た目は小学校3年生といわれても不思議はないからだ。
彼らは日がな一日、Tomの収集したパズルを解いたり、コンピューターでなにか図を描いたり、のんびり過ごしていた。
彼らと少し話をし、行動を観察するにつれ、だんだん彼らの正体が分かってきた。
これは数学に特化したきわめて少数先鋭の英才教育である。
彼らはおそらく公教育をはじめから受けていないに違いない。
老数学者は受験数学ではない数学を教える家庭教師あるいは共同研究者。
ニールは母親が教師だとも言った。
ニールは難解なパズルを次々と解いていく。
面白そうなので、彼らに僕の作った音楽プログラム「Real Kecak System」「Real Number Music」を見せてみる。案の定反応が良い。そしてどういう仕組みなのかと鋭い質問を浴びせかけてきた。
説明をしているうちにこれまた驚いたのだが、12歳のニールですら、連分数展開の概念をとっくのとうに理解しているという口ぶりだったのである。
僕は大学を卒業してやっと知ったというのに。
彼らはほとんど大学生、あるいは大学院生レベルの勉強をしているのかもしれない。
ニールは僕のプログラムを欲しいと言った。
残念ながら、コンピューターのOSが合わず、あげられなかったが。
その代わりStarcage#5のキットをあげた。
彼はとても喜んでくれた。
G4G9の会議にも全日程、彼らは出席していた。
すべての講演をさほど退屈そうでもなく聞きとおしていた。
年長の2人は、講演者として登録されており、五回対称や七回対称の複雑なフラクタル図形について300人の聴衆を前に臆することもなく堂々と発表していた。
ある日の夕食時、John Conway氏の前に立ち、サシで議論しているニールを目撃した。
数学の大御所と対等に渡り合う度胸。
末恐ろしいことである。
G4G会議は夕食時のアトラクションとしていつも第一級のマジックを見せてくれる。
あるマジシャンはニールを俎上にのせ、トランプを切らせたり、好きなカードを抜かせたりさせた。
懐疑心旺盛なニールは、そうおいそれとマジシャンの口車には乗らない。
ニールは笑顔でマジシャンの裏をかいて困らせていた。
マジシャンはもっと人を見る眼を持った方がいいだろう。
公教育を否定し、家庭で子どもを育てることは簡単ではない。
僕はアメリカの他の地方でそのような教育をしている家族に接したことがある。
その子どもたちも皆おそろしく大人びていた。
しかし、突出した才能やスキルに驚く反面、外の社会から隔絶されているというどうしようもない閉塞感を感じずにはいられなかった。
学校も多かれ少なかれ閉ざされた社会だから、そんなに変わらないといえば変わらないが。
ニールたちはその意味で、学校を超えていきなり世界へ開かれているという点で恵まれている。
現時点では、裕福でないとこんなことはできないのかもしれないが、ベーシック・インカムが実現すれば万人に可能だろう。
受験したり就職したりする必要がなくなるのだから。
望みとあらば幼年期から学者や芸術家を志せる。
学校に行かなくてものびのび学べる社会。
そんな社会=学校が実現して欲しい。
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2010-04-05 Mon [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
9th Gathering for Martin Gardner(G4G9)初日の夜、メイン会場となるリッツ・カールトン・ホテルのレセプションは参加者でごったがえした。その日はレジストレーションをするだけなのだが、久々に会う人々と談笑したり、紹介しあったり、ミニパーティーの場と化していた。新種のパズルを披露する人、大道芸的な手品をする人なども。
その中に懐かしいルービック・キューブを常にいじくりまわしている若者がいた。
手さばきは尋常な速さではない。
その若者はスタンフォード大学の学生だという。
ルービック・キューブが発売された1980年当時、私はその美しさに魅せられ、解かずにはいられなかった。
平均4分で解けるようになって、ちやほやされたものだが、程なく、萩本欽一も解いたという噂を耳にして、すっかりキューブ熱は冷めた。
そのことをうっかりその若者に話すと彼はキューブをくちゃくちゃとシャッフルし、私に渡す。
彼は他人がどう解くか興味があるという。
しょうがない、やってみるかと解きだすともう止まらない。
懐かしい感触。しかし私の頃より回転の滑らかさは飛躍的に向上している。
むしろすべりが良すぎるほどだ。
私が悪戦苦闘している間、彼は別のルービック・キューブを取り出し、他の人と談笑しながら涼しげな顔でカチャカチャと解いては壊しを繰り返していた。
私は酔いも手伝って、なかなか解けず、20分ほどかかってようやく完成。
腕も(脳も)衰えたものである。
ふうっーと大きくため息をついて彼にキューブを返した。
すると彼はまたカチャカチャとシャッフルして僕に渡した。
「もういい」と笑って断った。
思いがけずルービック・キューブを解く羽目になったため、夕食を食いそびれてしまった。
パズルの怖いところはこのようについ没頭してしまうこと。
私は以前パズルに夢中になったせいで、財布の入った鞄を置き引きされたことがある。
次の日、メイン会場のホテルのエレベーターに乗り込むと例のスタンフォード学生に会った。
やはりルービック・キューブを持っている。
彼にこう質問した。
「僕は4種類ほどの動作を使っているだけだけど君は何種類使っているの?」
学生は100種類と答えた。
彼のキューブを拝借してシャッフルし、今度は彼に解いてみてと頼む。
OKと軽く答えるが早いか、キューブを回し始める。
指先の動きが早くて見えない。
彼はエレベーターが地上階に着くまでに解きやがった。
その数日後、会議場でJerry Slocum氏のルービック・キューブ史に関する講演の後、その若者が演台に立った。
コンクールにも出場している現役選手のようである。
彼は解けるキューブと解けないキューブの色配置について語ったあと、実演に入った。
300人の面前で17秒で解いた。
次に彼は目隠しをして解くという。
数分間、キューブを観察した後、彼は目隠しをして解きはじめた。
何かを思い出すように手を止めてはまたシャカシャカと回す。
息を呑むような静寂が会場全体を包む。
どんな格闘技にも勝るはらはらどきどきである。
2分ぐらいかかったろうか、彼はついに解いた。
満場の喝采。
彼の名前はLucas Garronである。
眼の見えない人のためのルービック・キューブはあっていいと思う。
彼らのほうが早く解くかもしれない。
球面を裏返すトポロジカルな変換が盲目の数学者によって発見されたことは有名である。
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2010-03-25 Thu [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
今回で3回目のGathering for Martin Gardner。今回はアルミのプレアデスと600本六勾を作ることになった。
実際の制作時間は正味1週間ほどだったが、打ち合わせや材料の手配などに2週間を要した。
アルミの作品を作るのは初めて。
大きさは直径2m強。
アルミとはいえ、竹や木にくらべるとやはり重い。
総重量は60キロ弱。
完成後、地上30センチほどで浮遊する程度に吊り、風が吹くとゆっくりと回転するように展示した。
銀色に光る文字通りの「星」になった。
これを宇宙空間に放てば、実際に乱反射衛星として有効で、ラジオ電波などを世界中に遍く拡散させるだろう。
600本の六勾は、ひさびさとはいえ、思いのほかさくさくと組みあがった。
制作はほぼ一人。
転がしながら竹を差し込んでいった。
完成形は大変強固に結束している。
そのほか、余った竹で簡単な星をいくつか作り、ほぼ任務を終え、ほっとしているところである。
明日からいよいよ国際会議が開催される。
当日は、300人の研究者やアーティストがここに集まる。
星籠作りのワークショップや、フィボナッチ・ケチャックのワークショップなどをして楽しく過ごすつもりである。
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2008-04-05 Sat [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
3月14日、アーティスト・イン・レジデンスのホストが息抜きにピアノリサイタルに連れて行ってくれた。奏者は2度もショパン・コンクールで優勝したという中国人ピアニストYundi Liである。
チケットを見ると$40とあり、いい値段である。
会場はアトランタ市街のど真ん中に位置するジョージア工科大学キャンパス内にあるコンサートホールだった。
私たちは無料の立体駐車場に車を停め、会場へと向かった。
ジョージア工科大学のキャンパスは大変広い。自動車で相当走っても敷地から出られない。
建物も立派である。
地方の州立大学にしては規模や設備が抜群に充実している。
これもコカコーラ社がかなりサポートしているのだそうだ。
かなり優秀な卒業生を輩出しているという。
会場はほぼ満席で、アメリカにいることを忘れさせるほど多くの中国人が占めていた。しかも家族連れが多い。
教授や学生など、この大学の関係者も多いのだろう。
ここでも中国の勢いを感じた。
演奏はモーツアルト、ショパン、リストと息をつく暇もなく続く。
すべて暗譜で弾かれ、めいっぱい緩急をきかせた演奏だった。
音量も、拡声器を併用しているとしか思えないほど大きく、最初はそれが気になって仕方がなかったが、彼の演奏スタイルからすれば音量の幅があればあるほど表現の自由度が広がるので歓迎しているのだろう。
高いところにある水ほど利用価値が大きいことと同じである。
とにかく音量、テンポ、スタイルなどすべてにおいて変化に富み、刺激的である。
まるで奔放な草書体による書道作品を見ているような感覚だった。
前半の見事な演奏が終わり、すごい拍手が沸きあがった。
私の隣の中国人女性はすかさずスタンディング・オベーションをしたのでちょっとたじろいだ。
休息を入れて後半はムソルグスキーの「展覧会の絵」が演奏された。
奏者は信じられない正確さと指圧で鍵盤をたたきまくる。
いよいよクライマックスにさしかかろうというとき、なにやら騒音のようなものが聞こえ始めた。
雷か?
ときおり非常灯もちらつく。
やがてその騒音はどんどん大きくなり、明らかに外は雷雨であることがわかった。
雨の音もはっきり聞こえる。
ステージではまるで外の雷雨と戦いを挑むような彼の演奏が続く。
しかし、やはり豪雨の音はすさまじく、演奏者も聴衆もどこか集中力を失った感は否めなかった。
音楽会としてはアンラッキーなことである。
雨の音が聞こえるコンサート会場なんて意外に安普請なのだなあとそのときは思った。
ようやく演奏が終わる。
ほとんどの聴衆は立ち上がり拍手する。
私も前が見えなくなったので仕方なく立ち上がった。
先ほど立ち上がった隣の女性は今度は立ち上がらない。
演奏に感動できなかったのであろう。
どうせ外は雨だし、できればアンコールを聞きたいという不遜な動機で、私も拍手に参加した。
演奏者は2回ほど出てきたが、結局盛り上がりに欠け、拍手は途切れてしまった。
なんとなく不完全燃焼の気分を残して、私たちは会場を後にした。
外に出るともう雨は上がっていた。
ダウンタウンは緊急車両のサイレンがずっと鳴り響いていた。
なにか事故でもあったのだろうか
その晩床についた後も、遠くからサイレンの音が一晩中聞こえた。
私はついに幻聴が聞こえるほど耳の調子がおかしくなったのかと自分の体を心配したほどである。
あるいはその日あまりに多くのサイレンを聞いたため、本当に幻聴として残っていたのかもしれない。
アトランタのダウンタウンでトルネードの被害があったことを知ったのはその数日後である。
ちょうど私たちが呑気にコンサートを聴いているころ、トルネードはわずか1マイル先のオリンピック記念公園で発生し、大きな被害を残していった。
たまたま進む方向が当たらなかっただけで、私たちが被害を受けていても全然不思議はなかったのである。
トルネードは人類が森林を伐採し、広大な芝生の公園を作ったり、過密な摩天楼を作ったりしたことが原因だと言われる。
さらに思い当たる節がある。
着陸前の飛行機から見る風景にはその国の価値観が見て取れるものだ。
たとえば、成田上空では山の頂の大半が虫食いのようにゴルフ場開発されていることが目立つ。これは水源に毒を撒いているようなものであろう。
中国広州に降り立ったときは、都市のいたるところで溶接のスパークが見えた。中国の土木建設がいかに盛んであるかを物語っている。
ニュージーランドに下りたときは穏やかな湾に無数のヨットが浮かんでいた。
アトランタ上空では、以前ブログに書いたように、郊外宅地開発が進んでいることが目に付いたが、そのほかにもう一点特徴的なことがあった。それは高圧送電線の異常な多さである。おそらく大半はどこぞの原子力発電からの調達で、気前良くばんばん使っているのであろう。
昨年、真夏のアトランタ空港で乗り換えたとき、空港内は真冬のように寒く空調が利き、洗面所の水道からは熱いお湯が出てきてびっくりしたものだ。
こうしてアトランタは上昇気流が非常に起こりやすい地勢となっているのだろう。
左の写真は多くのガラスが剥げ落ちた摩天楼である。(John Portman設計)。
風によって剥がされたのではなく、おそらく気圧差で一種の爆発が起こったに違いない。
おそろしいことである。
高層ビルのカーテンウォールは、内部から外部へ向かう力に対して非常に脆弱であることが明らかになった。
こんな状態でもビル内部は通常営業していた。
壊れた窓はすべて合板で塞がれていた。
飛ばされたガラスは広い範囲に被害をもたらした。
残されたガラスも未だ落ちるおそれがあるため、現在もなお立ち入り禁止の街路は多い。
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2008-02-17 Sun [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
今アトランタで寄宿している家の日本庭園には大きな池と小さな池がある。両者は独立しており、かなりの距離を隔てている。
大きな池は水深も深く、沢山の大きな錦鯉が泳いでいる。
中庭にある小さな池は浅く、錦鯉の稚魚たちがそこに群生している。
困ったことに、今年から中庭の稚魚を狙って巨大な青鷺が舞い降りてくるようになったそうだ。
実際に10匹ほど食われたらしい。
家の主人が稚魚を守ろうと工夫しても、青鷺は裏をかいて鯉の稚魚を取ってしまうそうだ。
私はなぜ稚魚を安全な大きな池で飼わず、小さな池にわざわざ隔離しているのかを聞いてみた。
「数年前、不思議なことに」と家の主人ははじめに断ってから、「そもそも小さな池には何も入れてないのに、鯉の稚魚が自然と涌いた」のだそうだ。
今では体長10センチまで育っている。
去年も青鷺は来たが食べることはしなかったそうだ。
状況証拠から察するに、この鯉の卵を中庭の池に放したのは他ならぬこの青鷺だったのではないだろうか。
彼らは鯉の成長を楽しみに、養殖を試みたのではないだろうか。
そしてそろそろ食べごろだなと。
私は以前、鷺が撒き餌をして魚を捕獲している映像を見たことがある。
彼らなら養殖もやりかねない。
鷺は最も繁栄した鳥類で、世界中どこでもみとめられる。
その飛行性能の無駄のなさは、マグロのそれに匹敵すると私はかねがね感じている。
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2008-02-13 Wed [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
今回のミッションは4m×5mもの巨大な実験室モジュール「コロンバス」を国際宇宙ステーションに付け加えることのようです。宇宙飛行士の船外活動は数時間におよび、ほとんど手作業の印象。
感情移入できて見る分には面白いですが、実際当事者が浴びる被爆量は相当なものではないでしょうか?
私には犠牲行為に見えてしかたがありません。
こういうところにこそ日本の繊細な産業ロボット技術が導入されるべきで、船外活動はできるだけ減らしてあげないと。
そもそも生身の人間が日常的に宇宙に行く必要もないと基本的には思います。
彼らの犠牲なくしては物事が運ばない現状を、科学技術者は恥じなければいけないのでは。
常に見切り発進してしまう科学技術の悲しい性といえるかもしれません。
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2008-02-12 Tue [ マーティン・ガードナー ]
by 日詰明男
今アトランタにいます。
2ヶ月間滞在の予定。
ここの大富豪に招かれ、いわゆるアーティスト・イン・レジデンスとして制作を始めています。
ホストの敷地にさまざまな「数学遺産」をこしらえようという試みです。
作品は3月下旬、数学者を中心に集まる国際会議へ向けて披露されます。
ホストのご主人は数学通、奥さんは日本通というカップルで、そうした両者のアンビバレンツな要請から依頼を受けた次第。
ある意味、僕にとって願っても無い機会です。
アトランタは内陸ゆえ、寒くなったり、暑くなったりめまぐるしいです。
ここも以前は広大な森林だったのでしょう。
ところどころその片鱗が残っています。
針葉樹と広葉樹の高木が同じような枝ぶりで住み分けしており、この辺の植生を特徴付けています。
夕映えを背景にした木立のシルエットがとても美しい。
アトランタ着陸直前の機内から見たところ、住宅開発が非常に盛んであることが見て取れました。
アメリカ経済はいまだ堅調であることがうかがわれます。
森林を切り込むように袋小路の車道がS字曲線を描き、それに沿って葡萄の房のように分譲住宅が建ち並んでいる。住宅密度に多少の差はあれ、基本的にこの路線です。どの家も見事なほど玄関の前に芝生が確保され、アメリカ人にとってこの芝生はトイレ以上に必要不可欠なのではないだろうかと思ってしまいます。
上空から眺めるだけで、訪れずとも町並みが目に浮かびます。
紋切り型とはいえ、日本人から見れば大変豪華な建売住宅ばかりです。
森林はこうしたかたちで侵食されていますが、日本のそれよりはましでしょう。
癌にたとえるなら潜伏性か、進行性のちがいでしょうか。
アトランタ郊外の開発では、極力目立たないように森林が伐採されていますから、居住者は、上空から見下ろさない限り、まだ全然森林は破壊されていないという錯覚の中で静かに生活することができるでしょう。
アトランタは都市として見るべきものはほとんどありません。
コカコーラ本社があるので、世界中からの富が集まってきている感じです。
府中競馬場で潤う府中市民みたいなものですね。
コカコーラは現象的に見れば三大宗教をしのぐ最も成功した宗教だといえるでしょう。
これはもう途方も無い集金システムです。
いわゆるアメリカ道。
今寄宿している家はコカコーラの社長が以前住んでいたものらしい。
桂離宮を意識した家です。
テレビ番組は数え切れないほどあり、よく採算が取れるものだと思います。
その中で唯一NASA TVを見るのだけがアメリカへ来たときの楽しみかもしれない。
この放送は1997年にアメリカ滞在したとき既に放送されていて、宇宙から見た地球を延々と流していました。あの時もたいそう感心したものですが、今やますます内容は充実しているようです。
今回は幸運にもスペース・シャトルが宇宙ステーションとドッキングする時期に当たりました。
これを書いている今も二人の宇宙飛行士が船外活動する様子を延々とライブ中継しています。
船内にも監視カメラがあり、全米に流れます。乗組員にプライバシーはありません。
船外活動する宇宙飛行士の姿をさまざまな方向からカメラがとらえています。
その背景には曲がった地平線を描く巨大な青い地球がぐるぐると回転している。
ブラウン管を通しても空間のずばぬけた透明度が十分に感じられます。
なんという光の鋭さ!なんという輪郭!
文字通り、身を焦がすほど透明で無垢な空間がそこにある。
その透明感はやはりダイヤモンドのそれを連想しますね。
「つまりこの宇宙空間は安定性においてダイヤモンドよ
りもはるかに硬いのである。途方もなくカッキンカッキ
ンに結晶している。その硬い媒質を電磁波は伝播してゆ
く。私ならダイヤモンドより硬いこの空間をありがたく
買うだろう。空間はタダであるが。」
(空想数学小説「ジャガイモ宇宙の大航海時代」より)
我慢できず、アトランティスから見た地球をTV画面を経由して激写してしまいました。
アメリカ人の税金で飛ばしているロケットたちですから、NASAは十分に国民に還元してますね。
それにくらべて日本の宇宙開発は成果を小出しにしているとしか感じられないのは僕だけでしょうか。
大学の情報公開も然り。
僕は以前、とある国立研究機関にどうしても知りたいデータを公開してもらうように丁重な手紙をしたためたことがありましたが、返事はありませんでした。
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