2008-03-08 Sat [ 作品 ]
by 日詰明男
アトランタの個人邸宅に76段の民主主義的階段を作った。全長80mである。
秩父、オハイオ、フィティアンガ(ニュージーランド)に続き、今回が4本目である。
途切れのない一連の階段としては、今までで最も長いものになった。
自然の勾配にしたがって緩急がつけられ、なめらかな抑揚が生まれるように設計した。
こうして階段の上り下りは、無意識下での一幅の音楽的経験となる。
素材は当初丸太を予定していたが、たまたまホームセンターで目にしたアムトラック払い下げの枕木に施主と私の心が動き、土壇場で枕木を採用することにした。
2.6mほどのものが1200円ぐらいで、日本国有鉄道のそれより数段安い。
アメリカ開拓時代以来、恣に森林伐採してきた後の廃材を、このような形で再び生かすことはとても有意味である。
今回の土木作業ではグアテマラ人が毎日手伝ってくれた。
一日少なくとも5段出来れば十分と思っていたが、彼らの活躍で3倍以上の早さではかどり、雨にたたられながらも完成まで1週間とかからなかった。
昨年コスタリカで覚えた片言のスペイン語が、彼らとのコミュニケーションにとても役立った。
彼らは非常によく働く。
早朝から日暮れまで、雨が降ろうがなんだろうが土曜も日曜もなく、愚痴ひとつこぼさず、朗らかに働いてくれるのはありがたい限りだが、複雑な気分である。
聞けば、彼らの就労は一応違法だとのこと。しかし事実上彼らの労働力がないと現代アメリカ経済は成り立たないので、公然のものとなっている。
彼らの賃金はけっして高くはないのだろうが、その大半を故郷に送金し、手元には殆ど残らないのだそうだ。
僕は彼らに言った。コスタリカへ行くべきだと。
着工前の測量と設計に十分時間をかけただけあって、施工の誤差はほとんどなく、最後の一段は予定の位置で収まった。めでたしめでたしである。
その後、アメリカで活躍されているランドスケープ・アーキテクトのTakeo Uesugiさんが訪れ、排水の便を工夫してくださることとなった。踏面にも砂利と木片チップを撒いていただく予定である。
写真は仕上げ前の状態である。
施主は既に何度も上り下りされ、民主主義的階段特有の快適さを実感していただいたようだ。
「登れば登るほど疲れがとれる階段」というキャッチ・フレーズもあながち誇張ではない。
この階段を作っていつも思うことがある。
一段一段作るのは根気もいるし、大変な重労働ではある。
でも作れば作っただけの甲斐があるということを、こんなに直接的に体感できるものもあまりないのではないだろうか。
特に民主主義的階段は、段数が多ければ多いほど効果的である。
努力が過不足なく報われる、ということ。
このあたりまえのことが通用しないのが現代である。
ここに4種類の労働がある。
1. やり甲斐のある労働で、経済的報酬も得られる。
2. やり甲斐のある労働だが、経済的報酬が得られないもの。
3. 無意味な労働だが、経済的報酬は得られる。
4. 無意味な労働ゆえ、経済的報酬が得られないもの。
カテゴリー1と4は自明であり、自然の法則に沿うものであるが、人間社会で特徴的なのはカテゴリー2と3の存在である。
カテゴリー2の場合の代表例として、あまりに先駆的な芸術や科学が上げられよう。誰からも理解されないゆえに経済は発生しない。しかし作者自身はその価値を確信しているから、達成したときの満足度はお金などでは量れないのである。
問題はカテゴリー3である。
年度末調整公共土木工事や戦争に代表されるように、お願いだからやめて欲しい労働に対して、法外に充実した手当てが出ている現実がある。
これは癌細胞にだけ栄養を送るような逆噴射治療に等しい。
彼らの経済的報酬には根拠が無く、いつ消えても不思議はないことを本人が本能的に一番よく知っている。
その不安があるからこそ、このカテゴリーに属する人は際限なく強迫的に富を独占しようとする。
周りがこういう大人ばかりだから、青年はこぞってカテゴリー3を志し、それを「勝ち組」と呼ぶ。
カテゴリー3に比べれば、「ひきこもり」の方がはるかにましだと思うのは私だけだろうか。
こうしてカテゴリー1に属する人々、たとえば細々と暮らす腕のいい職人が社会から消えていかざるをえないのは嘆かわしいばかりである。
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