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サンパウロ
by 日詰明男
ブラジル、サンパウロのJapan Houseで巨大な竹の準結晶彫刻を作りに行きます。


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エッシャーとサイケデリック数学 講義録 その1 (静岡市美術館 2016.7/17)
by 日詰明男
エッシャーとサイケデリック数学 講義録 その1 (静岡市美術館 2016.7/17)

「流れに乗っていない船を漕ぎ進めるのはなんと遅いことでしょう。しかしその価値がすべての人に受け入れられると、その後継者が仕事を続けることはなんと容易なことでしょう。個人的な実験は、ちょうど自分自身で基礎を作り壁を立てなければならなかった建物のように、それがぼろぼろの小屋になるまで持つ見込みがあると思いがちで、仮にそうなってからでも、他人が建てた宮殿に住むよりもそこに住むことを選ぶものなのです。」(1941)

(エッシャー「無限を求めて」(朝日選書)坂根厳夫訳 p.152)


三流芸術家曰く 「彼は所詮、科学者にすぎず、芸術家ではない。」
三流科学者曰く 「彼は所詮、芸術家にすぎず、科学者ではない。」


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トンデモンのトンデモスバラシ建築
by 日詰明男
8月中旬、韓国ソウルで開かれたBridges国際会議に出席した。国際数学者会議(ICM)と連動し、ICMの参加者とも多数交流した。
私はこの機会に、今年3月竣工したばかりのトンデモン・デザイン・プラザ(DDP)に足を運んだ。
設計はイラク出身、ロンドンAAスクール卒業の女性建築家ザッハ・ハディッドである。
ザッハ・ハディッドといえば、近年わが国でも新国立競技場設計案で物議をかもしている。
明治神宮外苑周辺の古い景観を壊してまで作るものなのかとか、巨大すぎる、奇抜すぎる、金がかかりすぎるとか、機能性に問題があるとか、コンペ選考プロセスに問題があるとか、いろいろである。

私は以前、彼女の作品「ヴィトラ社工場・消防ステーション」(ドイツ)を見学したことがある。
いわゆる「脱構築主義」の典型で、さしたる感慨もなかった。
表面的な複雑性を追求するとこうなるのかな、と。

私はもちろん東京オリンピックには反対である。
ザッハ・ハディッドの案も、ドイツで体験したネガティヴな印象もあり、建てない方がいいと思っていた。

こうした既成概念を抱えて、さあ批判してやろうと意気込みつつ、東大門(トンデモン)に向かった。

ところが予想に反して、実際にこの建築に接してみて、率直なところ、この作品は歴史に残るクオリティだと判断せざるをえない。
ソウルの中心部に新しい記念碑が建てられたと思う。
一部、重力の法則に反しているとしか思えないキャンティレバー(片持ち梁)がある。このプロジェクトにおいて構造上最大の挑戦だったにちがいない。
「あのキャンティレバー部分には何が入っているのだろう?中身は空っぽの張り子では?」と疑い、探索してみると、中には入れなかったものの、ちゃんと室内空間が存在するらしいことも分かった。
とかくこの種の建築は、主体構造で冒険しすぎたあまり、内部空間までデザインがゆきとどかないことが多い。
だが、この建築では曲面だらけの主体構造のユニークさを、インテリアまで徹底して生かす工夫が一貫してなされ、それがことごとく成功していた。
以前の「脱構築主義」とは一線を画す、きわめて構築的な意図を隅々にまで感じた。その手法はエレガントでさえある。
いったいザッハ・ハディッドはいつの間にここまで化けたのか?
AAスクール人脈の有能なスタッフが加わったのかもしれない。
だからといってザッハ・ハディッドの価値を損なうことにはならない。
たとえば初代「ゴジラ」は、円谷英二や伊福部昭の貢献によるところは大きいとはいえ、やはり本多猪四郎監督の代表作品なのである。

DDPのクオリティは、ニューヨークのグッゲンハイム美術感に肉薄している。
トポロジカルな空間の流れは、フレデリック・キースラーの「エンドレスハウス」を思い起こさせる。
私はこの広大な敷地を、ひさびさに興奮しながら歩き尽くした。
スケールアウトという批判もあろうが、ピラミッドに比べればヒューマンスケールの範疇である。

私はここに二度足を運んだ。
二回目はデンマーク人の幾何学木工職人と一緒に歩いた。彼もこの建築の空間造形力に圧倒されていたようだ。
実はこの敷地の一角には、知る人ぞ知る精巧な1/200のスケールモデルが置かれている。
私のように徹底して建物内部を探索しないと見つからない場所にそれはある。
その秘密の場所に彼を案内したら、彼はとても喜んでいた。。
模型はアクリルのカバーがされていないので触ることが出来、文字通り手に取るように全貌を眺められる。
その模型を見ても、どうしてあのようなキャンティレバーが成立しているのか、不可解のままであった。

この建築は未だに地元の人々によって批判の矢面に立たされている。
ソウル市民に愛されていた古い野球場が解体され、エイリアンのような建築に占拠されたという喪失感はしばらく続くだろう。
しかし私は予言する。DDPはいずれ、世界中から見学者が訪れ、世界遺産となり、ソウルの経済を永く支えることになるだろう、と。
ちょうどパリにおけるポンピドゥーセンター新凱旋門のように。
ソウル市民が、今後いかにこの建築を活用していくかにかかっている。

東京オリンピックはともかく、もしザッハ・ハディッドに何か建築を任せるのであれば、徹底的にやらせた方がいいと思う。
中途半端が一番良くない。
中途半端に終わるぐらいなら、建てない方が良いだろう。

信じられないキャンティレバーに度肝を抜かれる。


発掘された遺跡をそのまま活かした公共広場。


内部空間。曲面を活かした棚やベンチ、机が目を引く。
奇しくも3Dプリンターのマシン群や造形物が展示されていた。


あらぬところに接続する屋外階段。
ここは民主主義階段にした方が良かっただろう。


工芸的ですらある内部階段。手すりのつけ方がまた絶妙である。
どうやって設計施工したのだろう?


いくつものランプウェイは屋上庭園を辿って手前の撮影場所まで続く。
こんなに長いランプウェイを誰が歩くのかと普通は考えるが、ここでは歩いていて飽きない楽しさがある。


おそらく彼女のインスピレーションの原典と思われるフレデリック・キースラーの「エンドレス・ハウス」(1949)

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富山大学数学者東川和夫先生の退官記念講演
by 日詰明男
富山大に行ってきました。
ユニークな数学者東川和夫先生の退官記念講演に出席するためです。
ちょうど30年前、「数学セミナー」に掲載された東川先生の論文「ひまわりのたね」が、僕の出発点だったといっても過言ではありません。
そのひまわりのたねが、フィボナッチタワーへと結実したわけです。
講演のあと、おいしい純米酒とお肴のお店へ連れて行ってくださいました。
一泊し、次の日は雲ひとつない快晴。
立山連峰に目が釘付けになります。
こんな風景を日常的に見ていると、世界観も変わるだろうなあ。
豊富な水、おいしい魚介類、薬学を中心とした科学先進県。ノーベル田中さんも富山県出身。県民幸福度では富山県は常に上位です。


|| 19:42 | comments (x) | trackback (x) | ||
スティーヴ・ライヒのコンサート
by 日詰明男
2012年12月5日、東京オペラシティでスティーヴ・ライヒのコンサートを観た。

ライヒの作品には1980年ごろからずっと注目し続けている。
ほとんどの作品を聴いているが、ライブを直に聞くのは実はこれが初めて。
数年前に、やはりここで行われた18人の奏者のための音楽は迂闊にも行きそびれたので、今回はそのリベンジでもある。

切符を買うタイミングで一番安い席を選んだのだが、ステージ右翼の三階桟敷席で、これも悪くはなかった。
真上から演奏者全員の動きを一挙把握できるからである。
音源までの直線距離も近い。

冒頭のClapping music(1972)ではライヒ自身が演奏者のひとりとなった。
野球帽をかぶり、相変わらず若々しい。

その後、曲目はNagoya Marimba(1994)、Music for Mallet Instulments, Voice, and Organ(1973)と続く。
オルガンの音にはなんと初代YAMAHA DX7が使われていた。
私自身、今だに愛用している機種だ。
ますます親近感をおぼえる。

とにかく今回の打楽器奏者集団であるコリン・カリー・グループの技量には圧倒された。
人間業で限界と思えるほどの音の刻み、正確さだった。
演奏風景も舞踏的で、見飽きない。
超人的16ビートの間隙にもう一人の超人的16ビートが入るので、超超人的な32ビートが曲の基礎を支える、といったような。
2人の奏者が互いに向き合って共有のドラムやマリンバを叩くので、撥が時々接触する。
これも良い意味で演奏の緊張感をいっそう盛り上げてくれる。
どんな偶然も意図的な演出に聞こえるから不思議だ。
奏者の熟練ゆえの余裕なのだと思う。

シナジー・ヴォーカルズの装飾音的介入も絶妙で、面目躍如といった趣だった。
人間の肉声は万能かつ究極の楽器なのだと改めて思う。

休息を挟んでのDrumming for voices and ensenble(1970-1971)は圧巻だった。
オリジナルを超え、演奏家の独創がかなり加わっていたように思う。
特に、3台のマリンバに8人ほどの奏者がよってたかって叩きまくる部分。
音の網目が重層的に重なるにつれて、異常な現象が起こっていることに気付いた。
演奏されていないはずの和音が聞こえ始めたのである。
最初は幻聴の一種かと思っていたのだが、それは徐々に大きくなり、否定し得ないものになった。
多数のストリングスによる音群のような、あるいは息継ぎのない混声合唱のような音が聞こえ始めたのである。
「音の背景輻射」とも言うべきか。
おそらくそれはステージ上空の音響反射板、あるいはステージ背後のパイプオルガンの共振だったのだろう。
あるいはこのコンサートホール全体の固有振動数と共振していたのかもしれない。
本当に、目には見えない赤外線で上空から炙られている様な、エネルギーの圧力を全身で感じたのである。
それは今まで経験したことのない種類の快感だった。
その背景輻射音はますます大きくなり、ついに振動源であるマリンバの音を凌駕するほどになった。
このコンサートホールが、たとえでなく「楽器」になった瞬間だろう。

私の推理だが、コリン・カリー・グループはリハーサル中にこのコンサートホールの音響特性に気付き、その周波数帯を徹底的に攻める奏法に徹したのではないだろうか。
実際、演奏風景でも、一つのマリンバの特定の音階に、異常に多くの奏者が偏っていたように思う。
それはまるでマリンバの外科手術をしているかのような光景だった。

やがてマリンバの演奏者がひとりひとり演奏から離脱していっても、背景輻射音は鳴り止まなかった。
最後の一人がかなりミュートした音で演奏を続ける間も、その共振は衰えることがなかった。
こんな音響を聴いたのははじめてである。
彼らはマリンバひとつで建築を崩壊させることが出来るかもしれない。

次はぜひここでテヒリムのライブを聴いてみたいものだ。


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ネオカテ
by 日詰明男
先月6月10日日曜日、ブダペストの聖イシュトバン教会前広場で大群衆が熱狂的に踊り、歌い、演奏していた集会について、詳細が明らかになった。
映像もついにYoutubeで見つかった。
http://youtu.be/s_BZPU9vtXY
土着の音楽かと思いきや、これはスペインのジプシー音楽由来のカトリック系新興勢力だったわけである。
新求道共同体(Neocatechumenal)通称「ネオカテ」と呼ぶ。
1964年ごろ、マドリッドの貧困に寄り添う若きキコ・アルグエイオによって始められた運動だそうである。
以来ほぼ50年を経て、今やバチカン公認となり、ヨーロッパ中に広がる運動にまで発展しているらしい。
カトリックは旧態依然とかしこまってばかりもいられず、ネオカテの熱狂を必要としているのだろう。
ヨーロッパを包み込む不安がそれに拍車をかける。
激動の時代の到来を実感せざるを得ない。

6月10日、ネオカテの創始者キコがブダペストの聖イシュトヴァン教会を訪れていたとは。
私はこの映像の直後に、この広場に居合わせたことになる。
聖イシュトバン教会の僧侶とみられる人たちもキコを激写している姿が映っている。
私がいたときは警備員まで音楽を口ずさみ踊っていた。

スペイン由来とはいえ、音楽にはその土地土地の土着的即興が加わっていることは言うまでもない。
振り付けも、この映像にあるものを基本に、さまざまに変化発展を重ねているようだ。
もはや自律運動。
幕末の「ええじゃないか運動」に通じるものを感じる。

ジャスミン革命、ウォール街占拠、東京の紫陽花革命と、世界全体が騒然としてきた。
時代の当事者として覚悟して立ち会うことにしよう。

|| 11:47 | comments (x) | trackback (x) | ||
ブダペスト フィールドワーク
by 日詰明男
帰国までの1日間、ブダペスト市内を散策することにした。
ホテルを出て程近くの商店を覗く。
ちょうど昼時でにぎわっていた。

腹は減っていなかったが、私も指差しコミュニケーションで皆と同じようなものをたのんでみる。

これで500HUF(約160円)。
ソ-セージがうまい。


英雄広場近くの大駐車場でハンガリーの軽トラを発見。
社会主義時代の軽トラかもしれない。
足回りがしっかりしてそうだ。


地下鉄を乗り継いでまず向かったのはローマ時代の遺跡アクインクム。
円形劇場は草のはびこる文字通りの廃墟だった。


円形劇場のフェンスの仕上げ。
数個の石を組み合わせて長方形に規格化している。
これは文字なのではないだろうか。


大通りの中央分離帯には水道橋が残っていた。


そしてこれがローマ時代の都市遺跡。
ローマのオスティア・アンティカを思い出す。


石の束で高床にしている。
私の推理では、このあたりの温泉を引いて床暖房としたのではないか。


アクインクムを後にし、マルギット橋へ行く。
ドナウ川の巨大な中洲マルギット島とブダ、そしてペストの三者を結ぶ大きな橋である。
建造されたのは1870年代とあるから、かなり古い。
しかしその上を、複線路面電車、車道、自転車専用道、歩道が確保されている。
歩道をまたスケーボーに乗った若者が走る。


橋の下でもひっきりなしに渡し舟が通り過ぎる。
バスがそのまま川を渡っているのには驚いた。
水陸両用バス。

ここはあらゆる交通手段の坩堝だ。
新旧の交通機関がすべて現役で稼動している。
それらはどうして競合せず、共存していられるのか。
ここにブダペストの多様性の象徴を見るようだった。
日本やアメリカの都市は既に自動車のモノカルチャーとなっており、歩行者や自転車は邪魔者扱いである。
路面電車や船は時代遅れとされ、ほとんど廃れてしまった。
ところがブダペストではすべてが対等に棲み分けられている。


マルギット島に上陸し、橋を下から見上げる。
なんともダイナミックな橋脚の構造である。
島に入ると車通りはあまり無く、打って変わってとても静かで、木々が多く、鳥たちが歌いまくっていた。
老若男女が島の周囲をランニングし、川辺でストレッチに励んでいた。
ブダペスト市民の体型はよく絞られていて、スタイルのいい人ばかりなのはこういう理由か。
女性の多くはオリンピックで見る体操選手のように美しい。
男性はみなマッチョで鍛えられ、、絶対に喧嘩したくない相手ばかりだ。
どの男女を無作為にカップルにしたとても、グッド・ルッキングになること間違いなし。

ブダペスト市内では、過去の動乱による傷ましい銃痕をたびたび見た。
今、ブダペスト市民はつかの間かもしれない平和と自由をむさぼるように享受しているのかもしれない。


島の一角で見かけた階段にぎょっとした。
これはほとんど民主主義的階段ではないか。


この階段はスポーツセンターにアプローチするために作られたものらしく、新しそうだ。


道端の屋台でランゴシュという食べ物を売っていた。
油で揚げたナンにニンニクとクリームチーズで味付けした絶品。
これも160円ぐらいでけっこう満腹。


その屋台で見かけた鍋敷き。
水引のような紐で編まれていた。

1日歩いただけで、いろいろな謎に遭遇した。
いちいち掘り下げている時間が無いのが残念である。
また訪れたい都市である。



|| 23:17 | comments (x) | trackback (x) | ||
聖イシュトバン教会広場での民族音楽
by 日詰明男
国際会議の全日程が終わり、自由の身になったので、ブタペスト市内を散策することにした。
今日は日曜日。
方々でバザーの人だかり。
とりあえずシナゴーグ観光をする。
さしたる感動もなく。

地下鉄駅に向かって歩くと、巨大スクリーンにスペイン対イタリア戦が映し出され、群集がそれを見て一喜一憂しながらビールをあおっていた。
どうもブタペスト市民は双方を半々の割で応援しているようだ。
私もゲームオーバーまでビール片手に付き合うことにした。
5分に一回は画像が落ち、復旧を待たねばならない。
ああまたかという感じで群集はおおらかに待つ。

結局1対1の引き分けで穏便に終わった。
群集はよっこらしょと退席を始めた。

私も席を立ち、足の向くまま歩き始める。
ふと、遠くから群集の大合唱が聞こえてきた。
見ると建物の合間に巨大な旗がいくつも振られて波打っている光景が見えた。
なんだろうと思い、足早に向かう。
それは聖イシュトバン教会前の広場だった。
建物も広場もとにかくでかい。
その広場を大群衆が埋め尽くしていた。
着いたときはちょうど合唱も終わり、何らかの式典が終了した雰囲気だった。
広場を埋め尽くす群集は動き始めていたが、やがて会場に民族的な音楽の演奏が始まった。
見るとまだステージには楽隊がいて、演奏をしている。
主な楽器はギター。
補助的にバイオリン。
なんと哀愁を帯びた旋律だろう。
周りの人は高揚し、手をたたき歌う。
この音楽はいつまで続くのか、収束に向かう気配がない。
途中で午後6時の鐘が激しく鳴り響き、演奏に加わった。

音源は
http://www.youtube.com/watch?v=9TipiPOfWmc&feature=g-upl
このままいつまでも続いてほしいと思って聴いていたが、どういうタイミングなのかわからないが、演奏家たちは演奏をきれいにしめくくる。
いったいこの音楽は何なのだろう。
そもそもこの集会はなんだったのだろう。

片づけが始まっていたが、群集のほとんどは帰らず、なんだか余韻に浸っているようだった。
広場の中央でなにやら渦巻きのような動きがあった。
人々が円陣を組んで回り始めているようだ。
さきほど聞いた旋律がふたたび聞こえ始めた。
私は録音機の電源をそのままにしてその円陣に近づいた。
円陣の中心には10名ほどの人がギターを弾き、ジャンベをたたく者数名。
その周囲に2つの輪が自然に形成され、カスタネットやタンバリンを打ちながら踊っていた。
内側の輪の人々は踊り方も激しく、回転周期も短い。
外側の輪はゆっくりと踊る人々向けという住み分けがされているようだ。
どんどん踊り手が加わり、その輪はみるみる大きくなっていった。
老いも若きも、僧侶までもがトランス状態で踊りまくっていた。
とくに若い女性が乗りに乗りまくっている。

こりゃ本物の盆踊りである。
この盆踊りはとどまることを知らず、延々と続いた。
制止する野暮な人もいない。

民族音楽の力はすさまじい。

|| 00:08 | comments (x) | trackback (x) | ||
ブダペストの洗礼
by 日詰明男
ウィーン空港から小型機でブダペスト空港に着いた。
バスと地下鉄を乗り継ぐ最安値のルートで市内に向かうことにする。
250円程度。
バスはとてもぼろい。
車窓から見える風景もすさんだ廃墟が目立ち、洗練のきわみというべきウィーンとのギャップ著しく。
ここはほんとにユーロ圏なのか。
地下鉄に乗り継ぐ。
地下鉄もぼろい。
自動ドアはこれでもかというぐらいにバシンと閉まる。
間違って挟まれたら骨折するだろう。

地下鉄3号線から1号線に乗り換える。
案内が不親切で、何度も道を間違えた。
1号線はロンドン、イスタンブールに次ぎ、世界的に最も初期の地下鉄のようで、地下わずか3mのところをガチャガチャおもちゃ電車のように走る。

ようやく目的の駅に着いた。
珍しいのでホームの写真をとり、リュックにしまって出口へ向かう。

職員が入り口で切符の所持をいちいちチェックしていた。
地上に出て、重いスーツケースを転がし、重いリュックを背負って歩き出した。
地下鉄1号線の上部は幅50mはあろうかと思われるブダペスト随一の目抜き通りである。さすが旧社会主義的メガストラクチャーである。
英雄広場近くのホテルへ向かう。
午後8時。まだ西日がさしている。
結構暑い。
地図を片手に20mほど歩くと、何か背中に違和感が。
振り返ると、なんと女が私のリュックに手をかけていた。

「オー、オー」とわけのわからない声を出しながら娘と二人で足早に去っていった。
何が起こったのだろうとリュックを下ろすとなんとリュックのジッパーがすべて全開。
もともとろくなものは入っていないので、盗まれた形跡はない。
おそらく地下鉄に乗っているときから狙われていたのだろう。
ジッパーを閉じて再び歩くと、大通りをはさんだ対岸に駅へ向かって歩くあの母娘がいた。
にくらしいことに、母親は私に向かって笑って手を振ってきた。
この辺はこういったジプシーが多いのだという。


|| 23:50 | comments (x) | trackback (x) | ||
クリムト
by 日詰明男
国際会議で発表するためブダペストに向かう。
ブダペストまでの直行便はなく、ウィーンで乗り換えるのだが、せっかくだから二泊することにした。
ちょうどウィーンではクリムトの生誕150年記念展が随所で開かれていた。

レオポルド・ミュージアムとベルベデーレのいくつかの風景画の前に立ったとき、ぐっとこみ上げるものがあった。
絵画でこうしたわけのわからない感動に出会うのは稀だ。
というか初めてかもしれない。
特に湖面の描写や芥子畑、曇天の作品が琴線に触れた。
これはおそらくオルダス・ハクスレーやポール・ヴァレリの視覚と同様である。
日常的風景の背後に潜む只ならなさ。
狂気。
クリムトはすごいおっさんである。

画力において保守派を超えているから、分離派の若手にとってさぞや心強かったことだろう。
エゴン・シーレの作品も、クリムトに負けないぐらいに随所で展示されていた。
若いころはシーレの方が好きだったが、今はやはりクリムトに惹かれる。
クリムトはシーレの精神的なパトロンだったのだろう。
シーレはクリムトのデスマスクを描いている。

クリムトは岡倉天心と横山大観、菱田春草を足して何も割らない、いやむしろ+αの人格だったのかもしれない。
彼は書家としても優れている。
数々のポスターのレタリングの下書きを見た。
彼の書体はいまだに古びていない。
生涯の伴侶であったエミーリエ・フレーゲにあてた手紙も今回見ることが出来、その筆跡のすばらしさには唸った。

小出裕章氏によると、オーストリア市民はかつて原発稼動前に、デモと国民投票で廃炉に追い込んだのだという。
こうした国民性が、クリムトを育てたのだろう。
破天荒なクリムトが世界にいたほうがおもしろい。
クリムトがいて本当に良かった。
しかし原発はいらないと。

日本はその逆を行っている。
原発再稼動。
愛すべき芸人を何が哀しゅうてバッシングするのか。

|| 23:33 | comments (x) | trackback (x) | ||


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