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山本太郎の演説
by 日詰明男
岩上安身のIWJで今日12月14日荻窪駅前で行われた山本太郎の演説を聞いた。
言葉に力がある。
応援演説の沢田研二とともに心に響く。
FRYING DUTCHMAN humanERRORを聞いたときのような衝撃だ。
選挙結果がどうであろうと、これは歴史に残るだろう。
28分ごろから。

http://www.ustream.tv/recorded/27708252

その後の首相官邸での演説もいい。
山本太郎は今人間として最も輝いている。
1時間33分ごろから。

http://www.ustream.tv/recorded/27708481

宇都宮健児候補の演説がその後に続く。
彼が都知事になれば革命である。


|| 22:07 | comments (x) | trackback (x) | ||
スティーヴ・ライヒのコンサート
by 日詰明男
2012年12月5日、東京オペラシティでスティーヴ・ライヒのコンサートを観た。

ライヒの作品には1980年ごろからずっと注目し続けている。
ほとんどの作品を聴いているが、ライブを直に聞くのは実はこれが初めて。
数年前に、やはりここで行われた18人の奏者のための音楽は迂闊にも行きそびれたので、今回はそのリベンジでもある。

切符を買うタイミングで一番安い席を選んだのだが、ステージ右翼の三階桟敷席で、これも悪くはなかった。
真上から演奏者全員の動きを一挙把握できるからである。
音源までの直線距離も近い。

冒頭のClapping music(1972)ではライヒ自身が演奏者のひとりとなった。
野球帽をかぶり、相変わらず若々しい。

その後、曲目はNagoya Marimba(1994)、Music for Mallet Instulments, Voice, and Organ(1973)と続く。
オルガンの音にはなんと初代YAMAHA DX7が使われていた。
私自身、今だに愛用している機種だ。
ますます親近感をおぼえる。

とにかく今回の打楽器奏者集団であるコリン・カリー・グループの技量には圧倒された。
人間業で限界と思えるほどの音の刻み、正確さだった。
演奏風景も舞踏的で、見飽きない。
超人的16ビートの間隙にもう一人の超人的16ビートが入るので、超超人的な32ビートが曲の基礎を支える、といったような。
2人の奏者が互いに向き合って共有のドラムやマリンバを叩くので、撥が時々接触する。
これも良い意味で演奏の緊張感をいっそう盛り上げてくれる。
どんな偶然も意図的な演出に聞こえるから不思議だ。
奏者の熟練ゆえの余裕なのだと思う。

シナジー・ヴォーカルズの装飾音的介入も絶妙で、面目躍如といった趣だった。
人間の肉声は万能かつ究極の楽器なのだと改めて思う。

休息を挟んでのDrumming for voices and ensenble(1970-1971)は圧巻だった。
オリジナルを超え、演奏家の独創がかなり加わっていたように思う。
特に、3台のマリンバに8人ほどの奏者がよってたかって叩きまくる部分。
音の網目が重層的に重なるにつれて、異常な現象が起こっていることに気付いた。
演奏されていないはずの和音が聞こえ始めたのである。
最初は幻聴の一種かと思っていたのだが、それは徐々に大きくなり、否定し得ないものになった。
多数のストリングスによる音群のような、あるいは息継ぎのない混声合唱のような音が聞こえ始めたのである。
「音の背景輻射」とも言うべきか。
おそらくそれはステージ上空の音響反射板、あるいはステージ背後のパイプオルガンの共振だったのだろう。
あるいはこのコンサートホール全体の固有振動数と共振していたのかもしれない。
本当に、目には見えない赤外線で上空から炙られている様な、エネルギーの圧力を全身で感じたのである。
それは今まで経験したことのない種類の快感だった。
その背景輻射音はますます大きくなり、ついに振動源であるマリンバの音を凌駕するほどになった。
このコンサートホールが、たとえでなく「楽器」になった瞬間だろう。

私の推理だが、コリン・カリー・グループはリハーサル中にこのコンサートホールの音響特性に気付き、その周波数帯を徹底的に攻める奏法に徹したのではないだろうか。
実際、演奏風景でも、一つのマリンバの特定の音階に、異常に多くの奏者が偏っていたように思う。
それはまるでマリンバの外科手術をしているかのような光景だった。

やがてマリンバの演奏者がひとりひとり演奏から離脱していっても、背景輻射音は鳴り止まなかった。
最後の一人がかなりミュートした音で演奏を続ける間も、その共振は衰えることがなかった。
こんな音響を聴いたのははじめてである。
彼らはマリンバひとつで建築を崩壊させることが出来るかもしれない。

次はぜひここでテヒリムのライブを聴いてみたいものだ。


|| 16:54 | comments (x) | trackback (x) | ||
ネオカテ
by 日詰明男
先月6月10日日曜日、ブダペストの聖イシュトバン教会前広場で大群衆が熱狂的に踊り、歌い、演奏していた集会について、詳細が明らかになった。
映像もついにYoutubeで見つかった。
http://youtu.be/s_BZPU9vtXY
土着の音楽かと思いきや、これはスペインのジプシー音楽由来のカトリック系新興勢力だったわけである。
新求道共同体(Neocatechumenal)通称「ネオカテ」と呼ぶ。
1964年ごろ、マドリッドの貧困に寄り添う若きキコ・アルグエイオによって始められた運動だそうである。
以来ほぼ50年を経て、今やバチカン公認となり、ヨーロッパ中に広がる運動にまで発展しているらしい。
カトリックは旧態依然とかしこまってばかりもいられず、ネオカテの熱狂を必要としているのだろう。
ヨーロッパを包み込む不安がそれに拍車をかける。
激動の時代の到来を実感せざるを得ない。

6月10日、ネオカテの創始者キコがブダペストの聖イシュトヴァン教会を訪れていたとは。
私はこの映像の直後に、この広場に居合わせたことになる。
聖イシュトバン教会の僧侶とみられる人たちもキコを激写している姿が映っている。
私がいたときは警備員まで音楽を口ずさみ踊っていた。

スペイン由来とはいえ、音楽にはその土地土地の土着的即興が加わっていることは言うまでもない。
振り付けも、この映像にあるものを基本に、さまざまに変化発展を重ねているようだ。
もはや自律運動。
幕末の「ええじゃないか運動」に通じるものを感じる。

ジャスミン革命、ウォール街占拠、東京の紫陽花革命と、世界全体が騒然としてきた。
時代の当事者として覚悟して立ち会うことにしよう。

|| 11:47 | comments (x) | trackback (x) | ||
ブダペスト フィールドワーク
by 日詰明男
帰国までの1日間、ブダペスト市内を散策することにした。
ホテルを出て程近くの商店を覗く。
ちょうど昼時でにぎわっていた。

腹は減っていなかったが、私も指差しコミュニケーションで皆と同じようなものをたのんでみる。

これで500HUF(約160円)。
ソ-セージがうまい。


英雄広場近くの大駐車場でハンガリーの軽トラを発見。
社会主義時代の軽トラかもしれない。
足回りがしっかりしてそうだ。


地下鉄を乗り継いでまず向かったのはローマ時代の遺跡アクインクム。
円形劇場は草のはびこる文字通りの廃墟だった。


円形劇場のフェンスの仕上げ。
数個の石を組み合わせて長方形に規格化している。
これは文字なのではないだろうか。


大通りの中央分離帯には水道橋が残っていた。


そしてこれがローマ時代の都市遺跡。
ローマのオスティア・アンティカを思い出す。


石の束で高床にしている。
私の推理では、このあたりの温泉を引いて床暖房としたのではないか。


アクインクムを後にし、マルギット橋へ行く。
ドナウ川の巨大な中洲マルギット島とブダ、そしてペストの三者を結ぶ大きな橋である。
建造されたのは1870年代とあるから、かなり古い。
しかしその上を、複線路面電車、車道、自転車専用道、歩道が確保されている。
歩道をまたスケーボーに乗った若者が走る。


橋の下でもひっきりなしに渡し舟が通り過ぎる。
バスがそのまま川を渡っているのには驚いた。
水陸両用バス。

ここはあらゆる交通手段の坩堝だ。
新旧の交通機関がすべて現役で稼動している。
それらはどうして競合せず、共存していられるのか。
ここにブダペストの多様性の象徴を見るようだった。
日本やアメリカの都市は既に自動車のモノカルチャーとなっており、歩行者や自転車は邪魔者扱いである。
路面電車や船は時代遅れとされ、ほとんど廃れてしまった。
ところがブダペストではすべてが対等に棲み分けられている。


マルギット島に上陸し、橋を下から見上げる。
なんともダイナミックな橋脚の構造である。
島に入ると車通りはあまり無く、打って変わってとても静かで、木々が多く、鳥たちが歌いまくっていた。
老若男女が島の周囲をランニングし、川辺でストレッチに励んでいた。
ブダペスト市民の体型はよく絞られていて、スタイルのいい人ばかりなのはこういう理由か。
女性の多くはオリンピックで見る体操選手のように美しい。
男性はみなマッチョで鍛えられ、、絶対に喧嘩したくない相手ばかりだ。
どの男女を無作為にカップルにしたとても、グッド・ルッキングになること間違いなし。

ブダペスト市内では、過去の動乱による傷ましい銃痕をたびたび見た。
今、ブダペスト市民はつかの間かもしれない平和と自由をむさぼるように享受しているのかもしれない。


島の一角で見かけた階段にぎょっとした。
これはほとんど民主主義的階段ではないか。


この階段はスポーツセンターにアプローチするために作られたものらしく、新しそうだ。


道端の屋台でランゴシュという食べ物を売っていた。
油で揚げたナンにニンニクとクリームチーズで味付けした絶品。
これも160円ぐらいでけっこう満腹。


その屋台で見かけた鍋敷き。
水引のような紐で編まれていた。

1日歩いただけで、いろいろな謎に遭遇した。
いちいち掘り下げている時間が無いのが残念である。
また訪れたい都市である。



|| 23:17 | comments (x) | trackback (x) | ||
聖イシュトバン教会広場での民族音楽
by 日詰明男
国際会議の全日程が終わり、自由の身になったので、ブタペスト市内を散策することにした。
今日は日曜日。
方々でバザーの人だかり。
とりあえずシナゴーグ観光をする。
さしたる感動もなく。

地下鉄駅に向かって歩くと、巨大スクリーンにスペイン対イタリア戦が映し出され、群集がそれを見て一喜一憂しながらビールをあおっていた。
どうもブタペスト市民は双方を半々の割で応援しているようだ。
私もゲームオーバーまでビール片手に付き合うことにした。
5分に一回は画像が落ち、復旧を待たねばならない。
ああまたかという感じで群集はおおらかに待つ。

結局1対1の引き分けで穏便に終わった。
群集はよっこらしょと退席を始めた。

私も席を立ち、足の向くまま歩き始める。
ふと、遠くから群集の大合唱が聞こえてきた。
見ると建物の合間に巨大な旗がいくつも振られて波打っている光景が見えた。
なんだろうと思い、足早に向かう。
それは聖イシュトバン教会前の広場だった。
建物も広場もとにかくでかい。
その広場を大群衆が埋め尽くしていた。
着いたときはちょうど合唱も終わり、何らかの式典が終了した雰囲気だった。
広場を埋め尽くす群集は動き始めていたが、やがて会場に民族的な音楽の演奏が始まった。
見るとまだステージには楽隊がいて、演奏をしている。
主な楽器はギター。
補助的にバイオリン。
なんと哀愁を帯びた旋律だろう。
周りの人は高揚し、手をたたき歌う。
この音楽はいつまで続くのか、収束に向かう気配がない。
途中で午後6時の鐘が激しく鳴り響き、演奏に加わった。

音源は
http://www.youtube.com/watch?v=9TipiPOfWmc&feature=g-upl
このままいつまでも続いてほしいと思って聴いていたが、どういうタイミングなのかわからないが、演奏家たちは演奏をきれいにしめくくる。
いったいこの音楽は何なのだろう。
そもそもこの集会はなんだったのだろう。

片づけが始まっていたが、群集のほとんどは帰らず、なんだか余韻に浸っているようだった。
広場の中央でなにやら渦巻きのような動きがあった。
人々が円陣を組んで回り始めているようだ。
さきほど聞いた旋律がふたたび聞こえ始めた。
私は録音機の電源をそのままにしてその円陣に近づいた。
円陣の中心には10名ほどの人がギターを弾き、ジャンベをたたく者数名。
その周囲に2つの輪が自然に形成され、カスタネットやタンバリンを打ちながら踊っていた。
内側の輪の人々は踊り方も激しく、回転周期も短い。
外側の輪はゆっくりと踊る人々向けという住み分けがされているようだ。
どんどん踊り手が加わり、その輪はみるみる大きくなっていった。
老いも若きも、僧侶までもがトランス状態で踊りまくっていた。
とくに若い女性が乗りに乗りまくっている。

こりゃ本物の盆踊りである。
この盆踊りはとどまることを知らず、延々と続いた。
制止する野暮な人もいない。

民族音楽の力はすさまじい。

|| 00:08 | comments (x) | trackback (x) | ||
ブダペストの洗礼
by 日詰明男
ウィーン空港から小型機でブダペスト空港に着いた。
バスと地下鉄を乗り継ぐ最安値のルートで市内に向かうことにする。
250円程度。
バスはとてもぼろい。
車窓から見える風景もすさんだ廃墟が目立ち、洗練のきわみというべきウィーンとのギャップ著しく。
ここはほんとにユーロ圏なのか。
地下鉄に乗り継ぐ。
地下鉄もぼろい。
自動ドアはこれでもかというぐらいにバシンと閉まる。
間違って挟まれたら骨折するだろう。

地下鉄3号線から1号線に乗り換える。
案内が不親切で、何度も道を間違えた。
1号線はロンドン、イスタンブールに次ぎ、世界的に最も初期の地下鉄のようで、地下わずか3mのところをガチャガチャおもちゃ電車のように走る。

ようやく目的の駅に着いた。
珍しいのでホームの写真をとり、リュックにしまって出口へ向かう。

職員が入り口で切符の所持をいちいちチェックしていた。
地上に出て、重いスーツケースを転がし、重いリュックを背負って歩き出した。
地下鉄1号線の上部は幅50mはあろうかと思われるブダペスト随一の目抜き通りである。さすが旧社会主義的メガストラクチャーである。
英雄広場近くのホテルへ向かう。
午後8時。まだ西日がさしている。
結構暑い。
地図を片手に20mほど歩くと、何か背中に違和感が。
振り返ると、なんと女が私のリュックに手をかけていた。

「オー、オー」とわけのわからない声を出しながら娘と二人で足早に去っていった。
何が起こったのだろうとリュックを下ろすとなんとリュックのジッパーがすべて全開。
もともとろくなものは入っていないので、盗まれた形跡はない。
おそらく地下鉄に乗っているときから狙われていたのだろう。
ジッパーを閉じて再び歩くと、大通りをはさんだ対岸に駅へ向かって歩くあの母娘がいた。
にくらしいことに、母親は私に向かって笑って手を振ってきた。
この辺はこういったジプシーが多いのだという。


|| 23:50 | comments (x) | trackback (x) | ||
クリムト
by 日詰明男
国際会議で発表するためブダペストに向かう。
ブダペストまでの直行便はなく、ウィーンで乗り換えるのだが、せっかくだから二泊することにした。
ちょうどウィーンではクリムトの生誕150年記念展が随所で開かれていた。

レオポルド・ミュージアムとベルベデーレのいくつかの風景画の前に立ったとき、ぐっとこみ上げるものがあった。
絵画でこうしたわけのわからない感動に出会うのは稀だ。
というか初めてかもしれない。
特に湖面の描写や芥子畑、曇天の作品が琴線に触れた。
これはおそらくオルダス・ハクスレーやポール・ヴァレリの視覚と同様である。
日常的風景の背後に潜む只ならなさ。
狂気。
クリムトはすごいおっさんである。

画力において保守派を超えているから、分離派の若手にとってさぞや心強かったことだろう。
エゴン・シーレの作品も、クリムトに負けないぐらいに随所で展示されていた。
若いころはシーレの方が好きだったが、今はやはりクリムトに惹かれる。
クリムトはシーレの精神的なパトロンだったのだろう。
シーレはクリムトのデスマスクを描いている。

クリムトは岡倉天心と横山大観、菱田春草を足して何も割らない、いやむしろ+αの人格だったのかもしれない。
彼は書家としても優れている。
数々のポスターのレタリングの下書きを見た。
彼の書体はいまだに古びていない。
生涯の伴侶であったエミーリエ・フレーゲにあてた手紙も今回見ることが出来、その筆跡のすばらしさには唸った。

小出裕章氏によると、オーストリア市民はかつて原発稼動前に、デモと国民投票で廃炉に追い込んだのだという。
こうした国民性が、クリムトを育てたのだろう。
破天荒なクリムトが世界にいたほうがおもしろい。
クリムトがいて本当に良かった。
しかし原発はいらないと。

日本はその逆を行っている。
原発再稼動。
愛すべき芸人を何が哀しゅうてバッシングするのか。

|| 23:33 | comments (x) | trackback (x) | ||
ガイガー・カウンターによる実測結果
by 日詰明男
昨年(2011年)中旬、ガイガーカウンターが二万円を切ったので、思い切って購入してみた。
静岡県山間部の我が家の床面はいつ計っても0.18μSv/h前後。
雨樋の出口地表で0.2μSv/hを超える。
現在もあまり変化はない。

出張の折に各地の空間線量(ベータ線とガンマ線)を調べてみた。

使用機器:SOEKS(ロシア製)

2011年11月の京都は静岡とほぼ変わらず。

福島に出張された人に貸したところ、室内で0.7μSv/hとのこと。
やはり高い。

2012年1月の東京。地上で0.13μSv/h前後。
静岡より若干低い。
地上10階で0.08μSv/h。

2012年1月の船橋は地上で0.2μSv/hを越えた。

3月に韓国経由で米国に行く機会があり、国内と比較するため、ガイガーカウンターを持参して測ってみることにした。

飛行中の機内は低くて1.5μSv/h、高いときは3.0μSv/hを超えた。
地上だったら大騒ぎの危険域だ。
パイロットやスチュワーデスは命がけだとは聞いていたがここまでとは。
宇宙飛行士の野口さんや古川さんは大丈夫だろうか?
でもこの場合放射性物質を吸ったり食べたりする「内部被爆」の心配はない。
とにかく、高々10キロの大気層がいかに宇宙線の脅威から生命を守っているかを実感した。
それに比べて飛行機機体の頼りなさよ。

ソウル空港は驚いたことに静岡とあまり変わらなかった。

米国アトランタ郊外のホテルでは、屋外の芝生で0.13μSv/h前後。
東京なみである。
ホテル室内は、静岡県のわが家より高く0.2μSv/h前後。
基礎のコンクリートに悪い建材でも使っているのだろうかと最初は考えた。
だがアトランタ郊外の自然林の地表を測ったところ、軒並み0.2μSv/hを超えていた。
アトランタ・ダウンタウンの高層ビル上層階へ上がれば線量は0.08μSvぐらいに下がるので、機械の異常ではない。

ソウルとアトランタという、今回偶然訪れた場所がたまたま共に花崗岩大地だったという可能性はあるが、もしそうでないとしたら、これは深刻な事態である。

原子炉が爆発した直後は、風向きやら雨やらで、汚染地域は斑目状になるが、セシウム137の粒子は0.01ミクロンと小さく、タバコの煙のように大気のブラウン運動に身を任せて浮遊し拡散してゆく。
エントロピーの法則からすると長期的には地球全域に一様均一に拡散する傾向にある。
大半が現在も空気中を浮遊しているだろうが、最終的には雨や埃の粒となって地表に定着するだろう。

目いっぱい少なく見積もって、福島原発から放出されたセシウム137の総量が5キログラムだったとしよう。
思考実験として、5キログラムのセシウム137の原子を地球球面全域に一様に分布させてみよう。
5キログラムのセシウム137の原子の総数は5000/137*アボガドロ数であるから、約2.2*10^25個である。
地球の表面積は5.1*10^18平方センチである。
2.2*10^25/(5.1*10^18)=4,300,000
したがって地表わずか一センチ四方の空間に四百三十万個のセシウム137原子が平均的に存在しうる計算になる。
そのうちの二百十五万個の原子が向こう30年以内に確実に核崩壊する。
これが危険域なのかどうかわからないが、本来自然界にはなかったリスクであることは言うまでもない。
しかも原子炉が露出した福島原発では、現在只今もホットでフレッシュなセシウム137を供給し続けているのだから始末が悪い。
チリも積もればなんとやらである。


|| 23:30 | comments (x) | trackback (x) | ||
xxが思ってる汚染範囲
by 日詰明男
昨年(2011年)11月、某芸術大学大学院で行った特別講義の冒頭で、こんな話をした。


「・・が思ってる汚染範囲」と題する作者不詳のこの画像が9月ごろからインターネット上でかなり出回っていた。
自分の都合のいいように考える人間の心理を見事に突いた図である。
この図を見た人はそれぞれの立場で図星だと思うのではないか。
詐欺師はこうした心理につけこむものである。
あるときは優越感を与え、あるときは恐怖心を煽り、意のままに民衆を手なずける、いわゆるコンプレックス商法(行政)というやつだ。

下段右から二番目の図が示すように、外国人の心理からすると、日本列島は真っ赤に染まっている。


欧米の人たちは日常的にこのような世界地図を使っている。
日本が「極東」と呼ばれる所以である。


ところでこれは私のコンピューターのデスクトップ画面である。
右上にあるゴミ箱にどんどこどんどこ不要なファイルを放り込んでいるのだが、それでもこの散らかりようである。
家やコンピューターは持ち主の脳の直接の反映だといわれる。そのとおりだと思う。
誰しも脳の片隅にゴミ箱が必ず置かれ、それは「忘却」と呼ばれる。

おそらく、欧米の人々の心理として、日本はもう汚染されたし、海に囲まれているし、極東だし、ゴミ箱には恰好の場所だなあと思い始めているに違いない。
多くの国が、使用済み核燃料の処分に頭を悩ませており、彼らは「渡りに船」と感ずるだろう。
その心理を日本人は非難できない。
なぜなら日本政府は、福島原発事件以前、モンゴルの無垢な原野に、大金を払ってのうのうと使用済み核燃料を埋めようと画策していたのだから。


これを見て誰もが日の丸と答えるだろう。
「がんばれニッポン」と言いたいわけではない。
これは日の丸ではなく「宇宙人が思っている汚染範囲」、すなわち「地球」にほかならない。

たった一箇所の原発が爆発しただけで、地球全域が汚染される。
メルカトル図法にとらわれていてはこうした現実は実感できない。
地上にもはや逃げ場はない。
フラーは地球を宇宙船に喩えたが、原発事故はスペースシャトルの中でスカンクが放屁をしたようなものだろう。

|| 00:07 | comments (x) | trackback (x) | ||
澤田哲生プロデュース JGP54
by 日詰明男
東京工業大学澤田哲生氏と小出裕章氏の対談を聞いた。

3月7日 小出裕章氏と原発推進派・澤田哲生氏の討論
http://hiroakikoide.wordpress.com/2012/03/08/tanemaki-2012mar7/

澤田氏がまだ学者生命を維持していたことに驚く。
一年たっても改心する気配もない。
まったく懲りていないどころか、さらに頑なに原発を推進しようとしている。
澤田氏は酷すぎる。
保身で内心おろおろしているが、体裁だけは威厳を保とうという話しぶりである。
小出氏の前ではちいちゃくなっているくせに、素人を相手にした途端に威圧的態度に豹変する。

福島原発が爆発した直後も、色眼鏡をかけ、お洒落をし、フジサンケイグループに登場し、安全だ安全だといい続け、アイドル系とも絡むコメンテーターを演じていた自称学者である。
澤田氏は秋元康さながらにJGP54(ジャパン・ゲンパツ54基)でもプロデュースしているつもりなのだろう。

|| 13:42 | comments (x) | trackback (x) | ||


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