2007-07-28 Sat [ 政治経済 ]
by 日詰明男
投票日直前だというのに、マスコミはあいかわらずお気楽な番組ばかり垂れ流している。何だろう。このシラケきった静寂は。。。
これでは投票率は下がりこそすれ、上がることは無いだろう。
もちろんこれは公職選挙法の報道規制によるものである。
国民が政治にもっとも関心を持ち、活発な議論を尽くすべきときに、それを封殺する選挙制度とはいったい何だろう?
「国民は政治に対して余計な関心を持たないように」という、与党の心配りであろう。「何も考えず、働け働け」と。
かくして聞こえるのは、莫大な選挙財源を持つ政党の宣伝カーによる名前の連呼だけである。
選挙制度は、与党によって自分たちの都合のよいように作り変えられてきた。
これはもはや「インサイダー選挙」と呼ぶべきである。
たとえば選挙管理委員が与党の構成員で占められていたとしたら、誰もがそれはフェアではないと言うだろう。
ベネチアでは、不正が絶対起こらないように、票を数えるのは子供にやらせたという。念には念の入れようである。
選挙制度も同じことである。自分たちが選ばれる方法を、代議士自身が多数決で決めたらフェアではないのは子供でも分かる。
懲役刑の囚人に新刑法を採決させるようなものだ。
まあ既成事実に愚痴を言っても仕方が無い。
でも、ゆくゆくは少しでもフェアな形に変わって欲しいものだ。
ところで、以前cesaro氏が書いた選挙制度構想を、この機会に引用しておこう。
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2005年 09月 15日
こんな選挙制度どう?
一票の格差や、死票が問題にされて久しい。
どんなに定数是正をしても、国会内で議員の投票権は一票だから、格差も何もあったものではない。1万票で当選しても、10万票で当選しても、国会では同じ1票である。
では、もっとましな選挙制度はないだろうか?
もちろん直接民主制が理想的なのは言うまでもないが、時期尚早である。
陪審員制度のように、一般人から無作為に選び、一定任期だけ議員を務めるという方法も、現行の選挙制度よりはマシだろうが、これもまだ時間がかかりそうだ。
そこでより現実的な案として、以前から考えていた方法をここに記そう。
選挙区は小選挙区でも中選挙区でも全国区でもなんでもいい。
政党ももはや不要である。(党議拘束なんてかけられて独裁国家へ向かうだけだからね。)
投票はあくまでも候補者個人に対して行われる。
政党的なものは立法機関としてならあってもいい。
でも法案の是非は、あくまでも議員個人に委ねる。
まず前提として、候補者が今までどの法案に賛成、反対、棄権してきたか、データが完全に公開されていなければならない。
これらは、インターネットや、新聞、各市町村図書館資料として、だれでも検索できるようにしておかなければならない。
(これぐらいのことは本来、実現していて当然なのだが、なぜかできていない)
選挙民はそのデータや人柄を吟味して、一候補者に投票する。
投票時には必ず写真入りの身分証明を提示する。
(これはあたりまえのことのはずだが、日本ではノーチェックである。どうして改善しないのだろう?)
選挙監理委員の透明化。
(これも現在、運営が不透明だと言わざるを得ない。)
さて重要な改良点はこれから。
選挙後、その候補者は、自分が獲得した票と同じ票数を国会で行使できる。
こうすれば、死票は少なくなる。
一票の重みの格差もどんな選挙区制度であってもほとんどなくなるだろう。
したがって民意が反映されやすい。
極端に考えれば、一票しか投票されなかった人でも国会議員になれる。
つまり国民全員、自分自身に一票いれたものがいわゆる直接民主制だともいえる。
現実に国会に全国民を収容できない以上、また、インターネット投票もまだまだ信頼できない以上、候補者に供託金納付を義務づけ、落選者を出さねばならぬ事も、必要悪として当面やむをえない。
それでも死票は最小限に押さえられるだろう。
この選挙制度の方がシンプルで民意を反映しやすいと思うのだが、どうだろうか?
人気者に票が集中して危険だ、という批判も出るだろう。
衆愚が衆愚として反映されたとしても、それが民意の大多数ならば仕方がないことだ。
しかし確実に少数意見は国会で反映されるようになるはずだ。
現在の選挙制度では、少数意見は完全に発言権を奪われている。
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(引用終わり)
落選者が獲得した票は、落選者自身の判断で、当選者に振り分け、票を預託することにすれば、さらに死票は少なくなる。
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