2011-04-04 Mon [ 原子力発電 ]
by 日詰明男
引き続き松本夏樹氏の論考を引用します以下引用。
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この文章は3 月11日午後 2時50分地震発生の瞬間に、若江漢字さんのミュージアム・ハウスカスヤ発行の冊子に載せる為に送ったものです。先ほどの原発政策の補足としてお読み下さい。
Iconologia politica断章
前教皇ヨハネ・パウロ二世は、二千年紀が終わり新たな三千年紀(新ミレニウム)が始まるとき、ヴァティカンで扉を開く儀式をおこなった。カトリック、プロテスタント、正教の別を問わず、また個々の信仰の有無は別にしても、キリスト教文化圏の全ての人々(人類の四人に一人以上)にとって新ミレニウムは「ヨハネによる黙示録」の終末のイメージと分かち難く結びついている。それは毎年のクリスマスの時期が、信仰とは別にこの文化圏に生きる人々の敬虔な気分と結びついているのと同様である。 その三千年紀の始まりの年の9月11日、世界の盟主たるアメリカの世界貿易センターの二つの塔が、天上からの鉄槌によるかの如く炎に包まれ瞬時に瓦解するさまが、全世界にライヴ中継された。そのイメージは見た者の立場の相違を超えて、黙示録に云う終末の悪の都、世界の富と権力を集め欲望と義人の血の杯に酔い痴れる大淫婦、最後の審判の時に神の怒りの炎によって滅ぶ大いなるバビロンの姿以外ではなかった筈だ。またキリスト教以外
の一神教、ユダヤ教とイスラム教圏(ほぼ人類の四人に一人)でも、神の域に達しようとする人間の傲慢さが罰せられる、あのバベルの塔をそこに見たであろう。
ただキリスト教原理主義者たる清教徒が建国したアメリカの多くの人々の心の中では、凄まじい葛藤が生じたに違いない。神の前にピュアである者が作り出した国家、世界の正義を守るべき富が、神の怒りに滅ぶ大いなるバビロンである筈がない!だが一瞬とはいえ、終末の悪の都を自らに重ねて見させられてしまったという事実は、絶対に許すことの出来ない邪悪な存在、神の国アメリカを攻撃する反キリストの仕業に違いない!ならば再び「十字軍」を、「無限の正義の戦い」(この二つの言葉は、キリスト教原理主義者であるブッシュ前大統領が事件後に発言し、後に撤回した)を開始せねばならない…。
アメリカ人の心の深奥のどこかで、世界の盟主として世の富を集めることへの神に対する清教徒的やましさがあり、その中心たる塔が崩壊するさまは、神に対する傲慢と無限の欲望に鉄槌が下ったのだと、自らを罰する思いが些かなりともあったかも知れない。だが同時に、自らの原理主義ゆえの国外追放を神の約束の地への巡礼と捉えて、初代清教徒をピルグリムファーザースと呼ぶアメリカの、我こそ義人なりとする止みがたい自己肯定は、この疚しさと決して相容れぬものであり、それゆえに敵、邪悪は誰か他者でなければならない。こうした、他の文化圏からみれば病理的としか思われない心の反応が、それだけではないにせよアメリカを実際の軍事行動へと駆り立て、今も続く戦乱を招来した事を考えれば、あのライヴ映像が人類の半数に喚起した聖書的イメージの図像学的解析は、一神教文化とはほとんど無縁な我々にとっても無視する事の出来ないアクチュアルなテーマではなかろうか。
先にクリスマスの敬虔な気分と言ったが、1941年12月8日の真珠湾攻撃は現地時間では7日の日曜日の朝であった。クリスマスを待つ待降節の主日、荒くれ漢の水兵でも故郷の母親が焼いて送ってくれるケーキや、幼い頃クリスマスツリーの下にあったプレゼントを思い浮かべて素直で敬虔な気分になる日曜の朝に、開戦通告もなしにいきなり攻撃して来た者は疑いもなく人間とは呼べない邪悪な存在なのであり、この敵の二つの都市を神の怒りの炎がソドムとゴモラのように焼き尽くして、正義の下にあるアメリカ兵の命がそれで救われたのである…。日本人が、それは違う「ノーモア・ヒロシマ」と如何に言おうが、多くのアメリカ人の心の奥には厳然としてそうした宗教的イメージが存在しているのであり、「リメンバー・パールハーヴァー」とはそうした宗教的憤激を意味するのである。とはいえ、大日本帝国の戦争指導者たちが図像学的解析を基にキリスト教圏独特の心理反応を予期して、クリスマス月の日曜日の攻撃を避けていたとしても、帝国「憲法」とは名ばかりで現人神天皇への信仰を国是とするが如き(それはキリスト教のニカイア信経、クレドに等しい)宗教国家がどこまでその原理主義者的戦争を継続できたかは極めて疑わしい。
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以上引用。
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