2012-06-11 Mon [ 未分類 ]
by 日詰明男
帰国までの1日間、ブダペスト市内を散策することにした。ホテルを出て程近くの商店を覗く。
ちょうど昼時でにぎわっていた。
腹は減っていなかったが、私も指差しコミュニケーションで皆と同じようなものをたのんでみる。
これで500HUF(約160円)。
ソ-セージがうまい。
英雄広場近くの大駐車場でハンガリーの軽トラを発見。
社会主義時代の軽トラかもしれない。
足回りがしっかりしてそうだ。
地下鉄を乗り継いでまず向かったのはローマ時代の遺跡アクインクム。
円形劇場は草のはびこる文字通りの廃墟だった。
円形劇場のフェンスの仕上げ。
数個の石を組み合わせて長方形に規格化している。
これは文字なのではないだろうか。
大通りの中央分離帯には水道橋が残っていた。
そしてこれがローマ時代の都市遺跡。
ローマのオスティア・アンティカを思い出す。
石の束で高床にしている。
私の推理では、このあたりの温泉を引いて床暖房としたのではないか。
アクインクムを後にし、マルギット橋へ行く。
ドナウ川の巨大な中洲マルギット島とブダ、そしてペストの三者を結ぶ大きな橋である。
建造されたのは1870年代とあるから、かなり古い。
しかしその上を、複線路面電車、車道、自転車専用道、歩道が確保されている。
歩道をまたスケーボーに乗った若者が走る。
橋の下でもひっきりなしに渡し舟が通り過ぎる。
バスがそのまま川を渡っているのには驚いた。
水陸両用バス。
ここはあらゆる交通手段の坩堝だ。
新旧の交通機関がすべて現役で稼動している。
それらはどうして競合せず、共存していられるのか。
ここにブダペストの多様性の象徴を見るようだった。
日本やアメリカの都市は既に自動車のモノカルチャーとなっており、歩行者や自転車は邪魔者扱いである。
路面電車や船は時代遅れとされ、ほとんど廃れてしまった。
ところがブダペストではすべてが対等に棲み分けられている。
マルギット島に上陸し、橋を下から見上げる。
なんともダイナミックな橋脚の構造である。
島に入ると車通りはあまり無く、打って変わってとても静かで、木々が多く、鳥たちが歌いまくっていた。
老若男女が島の周囲をランニングし、川辺でストレッチに励んでいた。
ブダペスト市民の体型はよく絞られていて、スタイルのいい人ばかりなのはこういう理由か。
女性の多くはオリンピックで見る体操選手のように美しい。
男性はみなマッチョで鍛えられ、、絶対に喧嘩したくない相手ばかりだ。
どの男女を無作為にカップルにしたとても、グッド・ルッキングになること間違いなし。
ブダペスト市内では、過去の動乱による傷ましい銃痕をたびたび見た。
今、ブダペスト市民はつかの間かもしれない平和と自由をむさぼるように享受しているのかもしれない。
島の一角で見かけた階段にぎょっとした。
これはほとんど民主主義的階段ではないか。
この階段はスポーツセンターにアプローチするために作られたものらしく、新しそうだ。
道端の屋台でランゴシュという食べ物を売っていた。
油で揚げたナンにニンニクとクリームチーズで味付けした絶品。
これも160円ぐらいでけっこう満腹。
その屋台で見かけた鍋敷き。
水引のような紐で編まれていた。
1日歩いただけで、いろいろな謎に遭遇した。
いちいち掘り下げている時間が無いのが残念である。
また訪れたい都市である。
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2012-06-11 Mon [ 未分類 ]
by 日詰明男
国際会議の全日程が終わり、自由の身になったので、ブタペスト市内を散策することにした。今日は日曜日。
方々でバザーの人だかり。
とりあえずシナゴーグ観光をする。
さしたる感動もなく。
地下鉄駅に向かって歩くと、巨大スクリーンにスペイン対イタリア戦が映し出され、群集がそれを見て一喜一憂しながらビールをあおっていた。
どうもブタペスト市民は双方を半々の割で応援しているようだ。
私もゲームオーバーまでビール片手に付き合うことにした。
5分に一回は画像が落ち、復旧を待たねばならない。
ああまたかという感じで群集はおおらかに待つ。
結局1対1の引き分けで穏便に終わった。
群集はよっこらしょと退席を始めた。
私も席を立ち、足の向くまま歩き始める。
ふと、遠くから群集の大合唱が聞こえてきた。
見ると建物の合間に巨大な旗がいくつも振られて波打っている光景が見えた。
なんだろうと思い、足早に向かう。
それは聖イシュトバン教会前の広場だった。
建物も広場もとにかくでかい。
その広場を大群衆が埋め尽くしていた。
着いたときはちょうど合唱も終わり、何らかの式典が終了した雰囲気だった。
広場を埋め尽くす群集は動き始めていたが、やがて会場に民族的な音楽の演奏が始まった。
見るとまだステージには楽隊がいて、演奏をしている。
主な楽器はギター。
補助的にバイオリン。
なんと哀愁を帯びた旋律だろう。
周りの人は高揚し、手をたたき歌う。
この音楽はいつまで続くのか、収束に向かう気配がない。
途中で午後6時の鐘が激しく鳴り響き、演奏に加わった。
音源は
http://www.youtube.com/watch?v=9TipiPOfWmc&feature=g-upl
このままいつまでも続いてほしいと思って聴いていたが、どういうタイミングなのかわからないが、演奏家たちは演奏をきれいにしめくくる。
いったいこの音楽は何なのだろう。
そもそもこの集会はなんだったのだろう。
片づけが始まっていたが、群集のほとんどは帰らず、なんだか余韻に浸っているようだった。
広場の中央でなにやら渦巻きのような動きがあった。
人々が円陣を組んで回り始めているようだ。
さきほど聞いた旋律がふたたび聞こえ始めた。
私は録音機の電源をそのままにしてその円陣に近づいた。
円陣の中心には10名ほどの人がギターを弾き、ジャンベをたたく者数名。
その周囲に2つの輪が自然に形成され、カスタネットやタンバリンを打ちながら踊っていた。
内側の輪の人々は踊り方も激しく、回転周期も短い。
外側の輪はゆっくりと踊る人々向けという住み分けがされているようだ。
どんどん踊り手が加わり、その輪はみるみる大きくなっていった。
老いも若きも、僧侶までもがトランス状態で踊りまくっていた。
とくに若い女性が乗りに乗りまくっている。
こりゃ本物の盆踊りである。
この盆踊りはとどまることを知らず、延々と続いた。
制止する野暮な人もいない。
民族音楽の力はすさまじい。
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