竹の都市・竹の幾何学・竹の音楽 2012
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武蔵野美術大学

©2012 日詰明男

2012年11月12日−11月24日


2週間にわたる1年生対象の授業が始まる。
簡単な幾何学談義の後、早速星籠ワークショップに入る。
まず正12面体のジグをつくり、そのあと竹ひごを通していく。
座学のときと打って変わって学生たちの目が輝く。

完成した人から、中心にビー玉を入れ、ぱっと開かせる。
通称「珠入れの儀」。

模型の後は、教室を出て、芝生の上で大きな星籠作り。
今度はジグなしである。
学生はなかなか積極的だ。

くじ引きで5つの班に分かれてもらい、各グループで星籠を1体作る。

星籠作りのワークショップは毎日行った。
2週間後には10名以上の学生が自力で組み立てられるまでになった。
例年は数名にとどまるのだが。
芝生の上には実験都市の区画が出来始めている。
このインフラは4年前からの資産「ニューロ・アーキテクチャー」。
使うのは今年で3回目である。
この実験都市では日本銀行券と標準語の使用は禁止である。

各グループごとに、独自のケチャック演奏を練習し、最終日のコンサートに向けて自由に構成、演出をしてもらうことが課題である。
このグループは4人の女性と2人の男性なのだが、たまたま女性4人とも即興を得意とする人が集まり、それを男性2人が基本リズムで支えるかたち。
このグループの基本リズムは素数11の平方根がつくるケチャック。だからグループ名は「イレブン」である。

各グループは、舞台装置であり、音具でもある「竹の建築」を、2週間かけて自由に組み立ててもらう。
竹を使って生活することも重要な要素。
建築だけでなく、食器を作ったり、テーブルや椅子を作ったりという分業が自然に行われたようだ。
都会に生まれ、空地で廃材を使った秘密基地をつくる子供時代をすごせなかった学生には、この授業はそのリベンジでもあったろう。

まず模範として、私は5角形のティピを立て、自在鉤を吊るし、鍋を作った。
竹で軽くご飯を炊いて昼飯とする。
食器もすべて竹である。

夜も鍋。
火を操ることにはまる学生たち。
人間本来の野性が目覚める。

やれといったわけでもないのに、各班でも勝手に竃(へっつい)作りの実践がはじまる。

自作の竃を囲んでたたけたけ練習。

宮内庁に無断で神社を作ってしまったのは2の平方根のケチャック演奏担当のスクエア班。

「すくえあ大明神」というのだそうである。
焼き鳥を売るつもりのようである。

怪我もあり、大変な建築作業だったようである。

縁起物のお札作りにも専念するスクエア班。

ほとんどプロの仕事である。

年季の入ったグラフィティである。これは「優」まちがいなし。

最終日。
まずは、選抜メンバーによるパフォーマンスから始まる。
フィボナッチ・タワー内部で円陣を組むように選抜メンバーを集め、段取りの最終確認。
錘である鐘を叩いてパフォーマンス、そして祭典開始の印とした。

フィボナッチ・タワーから選抜パフォーマーたちが蜘蛛の子を散らすように繰り出し、実験都市内を演奏しながら練り歩く。

実験都市内にある通称「星の公園」で、選抜メンバー5人協働で一つの星籠を組み立てるパフォーマンスをする。
今年は1分25秒で完成。新記録である。

星籠の周りに陣取って、フィボナッチ・ケチャックの模範演奏。

さていよいよ各班の演奏会。
くじ引きで順番を決め、まずは素数7の平方根の「セブン・ケチャック」から。
インドネシア的軽快さに適度な倦怠感も漂い、そこに暗黒舞踏的なテイストが加わるという珍しい趣向。

お次は自然対数の底のケチャック "オイラー班"の演奏。
無難ではあったが、もうちょっとヒネリが欲しかったなあ。

デルタ班。
素数3の平方根からなるケチャック演奏を担当する。
高いところが好きな人が多く集まったようだ。
建築や都市を音具、舞台装置として使い倒していた意味で秀逸。
鳶の祭りか、出初式かといった風情だった。
チームワークも良かった。

期待のイレブン班。
音楽の構成、完成度、即興性では一番充実していたと思う。
竹の楽器もいい音がして、ジェゴグのように響いた。

最後は問題児たちが集まるスクエア班。
境内を巡回した後、「すくえあ大明神」に賽銭を投げ、二拝一礼一拝一礼(「たたけたけ」である)でお参りし、おもむろにヘルメットをかぶって竹のマラカスや電動ドリルの音も取り入れ、なかなかアナーキーな演奏。
基本のスクエア・ケチャックのリズムを途中で振り切り、ロックンロールのビートで最後まで押し切ったところに江戸っ子ならではの頑固さを感じる。
このスクエア班の挙動には終始驚かされることばかりだ。

今回私は「ボックリ紙幣」なる地域通貨を発行した。
8mのフィボナッチ・タワー建設を手伝ってくれた学生に、毎日お礼として配ったものである。
この兌換紙幣はお祭りである最終日のみ有効で、1ボックリあれば私の作品の最も安価なもの(500円相当)と交換できる。
写真は4ボックリと私の著書「音楽の建築」とを交換しているところである。
この実験都市内で、総額にして100ボックリ以上を流通させた。
これだけ流通すると、おのずと経済が発生する。

ボックリ紙幣は一人歩きをはじめ、授業以外の学生も巻き込んで、なんらかの取引きがされていたようだ。
写真は4年生の作品を6ボックリに値切って購入する1年生たち。
貿易をするつもりだろう。 もちろんこんなことをするのはスクエア班である。
6ボックリを手に入れた4年生は書籍などと交換された。

「身ボックリ」を割いて仕入れた4年生の作品をより高値で売ろうとしても買い手が付かず、いよいよボックリ不足となると、独自に兌換紙幣(焼き鳥と交換できる)を手書きで発行し始めた。 為替でもおこなうつもりなのだろう。

私の店の横で、横槍を入れ、お客を誘惑するスクエア班の連中。
ダフ屋行為に似ていなくもない。
漏れ聞くところでは、ボックリ紙幣を増やすために、都市のどこかでギャンブルまでが営まれていたという。 写真が無いのが残念だが、門付けをする学生も出た。

夜遅くまで、都市で過ごす学生たち。
鍋を囲みながら、ギターやドラムの演奏も気ままに行われていた。

次の日は祭りの後の撤収・現状復帰作業である。
日曜日だったにもかかわらず、ほとんどの学生が撤収に参加してくれた。
一日で都市は幻のように消え去った。
よきかな。
いまどきの若者のたくましさ、自由さ、才能の数々に希望を感じた2週間であった。

大学の授業がこんなに楽しくていいのかと不安になる学生もいたようだ。
もちろんいいと思う。
土台のコンセプトはめっぽう数学的で、シリアスなのだから。
数学をインフラとして使うとき、つまりその中で音楽を奏で、戯れ、とりわけ「生活」するとき、その数学的フォルムは単なる知識とは比較にならないほど強力に身体化されるのである。
実際、都市環境でこんなにも黄金比の幾何学に日常的に接することはまず無い。
従来の四角四面の直角社会や退屈極まりない周期的パターンとは対極の、あらまほしき近未来を先どり体験してもらったというわけである。
学生たちは楽しむ中で、無意識に多くの幾何学を学んだはずである。

謝辞

板東孝明
橋口博幸
齋藤朋久
武蔵野美術大学基礎デザイン学科

武蔵野美術大学学生有志


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