SHADOWS of a MU-MAGARI

Copyright 1993 Akio HIZUME
PATENT NUMBER 3493499 (March 31, 1993)


Photogram by K. Ikeuchi

 上図に示すのは六勾に色々な方向から光を当てて影を落としたときの映像である。
上から順に、5回回転対称、3回回転対称、2回回転対称軸の方向から光をあてたものである。
 宗教に少しでも関心のある方ならばすぐに気付かれるだろうが、一番上はイスラムの象徴であるペンタグラムがそこかしこに見え、アラベスクをも彷彿とさせる。この六勾のシルエットは前回紹介した五勾のシルエットそのものである。ペンタグラムは日本でも古く伝わる護符であり、晴明桔捷あるいは安倍晴明判と呼ばれている。
 二段目の影は日本人にもお馴染のカゴメ模様(むつ目編み)である。西洋ではユダヤの象徴「ダビデの星」として有名である。
 三番目の影には直交する縦糸横糸で溝成される格子文様が現れており、これは我が国では「九字」と呼ばれ、修験者たちが好む護符である。もっと単純化すればこれはキリスト教のシンボル「十字」に外ならない。
 このように一つの六勾に異なった方向から光を当てるだけで、イスラム、ユダヤ、キリスト教に代表される3種類の重要なシンボルが導かれる。この事実をある人に説明したら「じやあこれはエレサレムだね」と言ったものだ。しかしその喩えは当たってるとはいえない。なぜなら六勾において三者は分かちがたく完全に融合しているのに対し、これら三宗教は地球上ではいまだに自分こそが正統だと主張して譲らず、激しい抗争を続けているのだから。
 これら三宗派の差異は、六勾のメタファが示すように、同一の真実を異なった視点から眺めただけのものに過ぎないのかも知れない。
 ヨーロッパヘ行ったとき、たまたま出会ったキリスト教の牧師に六勾を見せて、私が以上の説明をし終えたとき、彼は「それでも十字架が一番重要だ」と言った。私はそのような特定のシンボルの過大な評価は非常に危険ではないかと意見した。ファシズムはそのようにシンボルを利用したのだからと。
 思うに人間は旗印を重視し愛しすぎる。その自己愛的な執着が、殺戮を正当化してきたと言っても過言ではない。
 六勾は単なる幾何学的な構造にすぎない。
しかしこの新しい幾何学が、私たちにニュートラルな見方を可能にし、あらゆる宗教への執着を無化する契機となるのだったら、それはそれで大変意味があると思う。

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