昨年建設したインフラ・ストラクチャー資産「ニューロ・アーキテクチャー」を発掘し、新たな音楽都市を再建する。 故 樋口源一郎氏の研究によると、粘菌でさえ前世代の死骸を支持体として巧妙に再利用し、3次元都市を建設するという。 都市は過去の建築遺産の上に少しずつ手を加えられながらゆっくり成長してゆく。 ある数学者は「都市は積分値である」と言った。 それに対して、祭りの生命は一回性である。 この一回性が都市に「生気」という花を添える。 都市という「地」なくしては祭りという「図」は生じないが、祭りの無い都市は滅びるだろう。 よき祭りをするために都市はあると言って過言ではない。 この一連のワークショップでは学生らとともにそのすべてをデザインする。 photo: T. Saito photo: T. Saito photo: T. Saito 毎日これを練習し、身体感覚として空間幾何学を習得してもらうのが狙いである。 去年は10人ほどマスターした。 今年は何人自力で組めるようになるだろうか。 photo: T. Saito photo: T. Saito 区画を学生に分譲し、竹で音具としての建築を作ってもらうことが課題だ。 それはまた最終日のパフォーマンスのための舞台装置でもある。 店を開いてもいい。 昼寝の空間としてもいい。 このキャンバスの上に今年はどんな構造物が現れるだろう。 photo: T. Saito ほとんどの学生にとって、竹を切るのは初めての経験だった。 軽トラの荷台に乗るのも今日日都会ではなかなかできない経験である。 photo: T. Saito photo: T. Saito photo: T. Saito 連分数展開は、中学1年の知識だけで、数学の比類なきエレガントさ、美しさに触れることができる格好の主題である。 なのに従来の文部科学省主導の教育システムは完全無視。大学院専門課程でも知らない人が多い。 中学校で二次方程式に入る前に、すべての子供がまずこれを学ぶべきだというのが私の持論である。 これだけで数学嫌いはかなり少なくなるはずだ。 私はいまだにこれを使って造形作品、音楽作品を作り続けている。 たぶん一生。 photo: T. Saito 授業が終わった後も互いに教えあって復習している光景。 photo: T. Saito ムサビの学生は体当たりでモノを形にしていくのが大好きなようだ。 自律的にどんどん作業が進んでいく。 photo: T. Saito photo: T. Saito 最終日のパフォーマンスに向けてのものであるが、この合奏経験を通して、グループ内のチームワークはおのずと向上するから不思議である。 ちなみにこの音楽は、この実験都市計画の区画パターンと数学的に同型である。 直角のない迷路状の都市に、変拍子に満ちた音楽が流れるわけだ。 実はこの授業の眼目は、ささやかではあるが既存の文明・文化・都市・芸能などに対し、あらゆる側面から反逆を挑む大真面目な試みだったのである。 だから音楽は、美大が舞台であろうがなかろうが、どうしても必須なのである。 photo: T. Saito photo: T. Saito photo: T. Saito フルタイム手伝ってくれた学生には、1ボックリ紙幣を2枚支給した。 この紙幣は最終パフォーマンスの日(10月12日)のみ有効で、品物や食べ物と自由に交換できることが明記されている。 ちなみに4ボックリあれば私の著書「音楽の建築」と交換できるので、2日間手伝ってくれればその本を買うことができるわけだ。 photo: T. Saito 竹の炎で淹れたエスプレッソを竹カップで飲む。 コーヒーとは苦いものである。 photo: T. Saito 各自持ち寄った具材をスープに放り込み、皆で食べた。 これを「ストーン・スープ」と呼ぶ。 昨年の懐かしい学生たちも沢山集まってくれた。 photo: T. Saito photo: T. Saito photo: T. Saito いったいこの形でなにをしでかそうとしているのか??? photo: T. Saito もはやこれはアーティストによるインスタレーションだと言って遜色のない完成度だと思う。 photo: T. Saito photo: T. Saito photo: T. Saito トランポリンを作りたいのだとか。 垂直がしっかり出ている。 photo: T. Saito photo: T. Saito 建築、そして都市が稼動し始めた。 photo: T. Saito photo: T. Saito 準備は整った。 あとはこの町を使い倒し、骨の髄まで味わおう。 見てるだけではだめ。使ってなんぼの都市と建築である。 そのためにソフトウェアである音楽と料理と経済は町全体を血液のように巡るだろう。 町は端材の竹を燃やす煙の香りで包まれた。 photo: T. Saito この町で日本銀行券はいっさい通用せず、ボックリ紙幣のみが公認されている。 photo: T. Saito movie: H. Hiyoshi 順番は公平にジャンケンで決めた。 最初はデルタ班。 さりげなく見える日常風景から、いつの間にか演奏は始まっていた。 ソロパートもあり。 構築物もさることながら、パフォーマンス構成もいちいちひねりが利いている。 photo: T. Saito movie: H. Hiyoshi 雑面のようなものを被った神官が入場し、御饌祭(おおみけさい)の様相。 どこでこんな知識を得たのか。 痛快である。 photo: T. Saito photo: T. Saito よくもまあここまで込み入ったまさかのアイデアを本当に実現したものだ。 スクエアの建物のユニークな形は、この機能に由来するものだった。 photo: T. Saito スクエア班のパフォーマンスは、建築や都市とのからみ、音、身体所作、衣装、食までも含め、有機的な構成力の深さがあった。 すばらしい! この方向で総合芸術の道を目指してほしい。 photo: T. Saito movie: H. Hiyoshi photo: T. Saito ひとまとまりの音楽作品として仕上げようとした意図が感じられた。 photo: T. Saito movie: H. Hiyoshi 声を使ったポリリズムが秀逸。 和声も意識している。 竹の笛を吹く人も。 このグループの魅力は天然の無邪気さ。 ほっとけばこの連中はここで野宿しかねない。 photo: T. Saito movie: H. Hiyoshi 国籍不明の顔面彩色をしたツナギ族のお話。 チームワークの良さが光る。 竹の音だけによるミュージカルをめざしたようである。 下絵となるストーリーをあらためて聞いてみたいものである。 建築も音具としてよく機能していた。 この班はこのあと焼きマシュマロと焼き鳥を1ボックリで売る予定らしく、「たった1ボックリ! やすーい! おいしーい!」といったコマーシャルも入った。 <総評> くじ引きで、徹底的に乱数化してグループ分けしたにもかかわらず、以上のように各グループの個性が際立った。 これは竹の都市、竹の音楽ならではの、稀有な現象だと思う。 photo: T. Saito photo: T. Saito バイトしてたような手さばき。 早々に売り切れたそうである。 買いそびれた。 もっと仕入れて売ればボックリを稼げたのに、と思う。 イレブン班は焼き芋を作り、一本いただいた。 スクエア、セブンは何を作っていたのかなあ。 photo: T. Saito photo: T. Saito ボックリ札を手に、日詰グッズに殺到するお客たちなのであった。 どれにしようか思い悩むお客も。 photo: T. Saito photo: H. Hiyoshi 今年は、関係者の粘り強い折衝により、幸運にもそのまま1ヶ月間延長して展示できることになった。 双曲面フィボナッチ・タワーも都市内に移設。 もはや生活感は抜け、都市の形骸だけが残ったわけだが、おりしもムサビの芸祭にさしかかり、訪れた子供連れ家族の格好のプレイグラウンドへと意味が転化した。 photo: H. Hiyoshi 「積み木」ならぬ「積み竹」か。 photo: H. Hiyoshi 子供も何か作ろうと思わせる都市。 昔の子供は皆空き地に秘密基地を作って成長した。 来年の芸祭では、ここで幾何学的キンダー・ガーデンをやろうではないかと提案している。 芸祭の後、11月9日まで実験都市は展示された。 板東孝明 橋口博幸 日吉洋人 齋藤朋久 武蔵野美術大学基礎デザイン学科 武蔵野美術大学学生有志 |