五勾 (ごまがり)
1990
日詰明男
上の写真を見ていただきたい。一見なんの変哲もない籠に見えるかも知れないが、実は5回対称に編まれている。手に持つと荒目の籠にしてはなかなかしっかりしているのがわかる。
写真の作品は籐を使って身近なザルに応用した一例にすぎず、原理的には無限の平面を5重に編み上げてゆくことができる。このような普遍的で再現性ある方法は未だかつて提示されたことはない。結晶学でつい最近まで5回対称長距離秩序の結晶はあり得ないと信じられていたのに、準結晶金属の発見でその常識が覆されたのは記憶に新しいところである。それと全く同じ理由で、このような5回対称の籠の編み方は不可能とされていたのである。
【籠の歴史】
籠の歴史はけっこう古い。籠の発明は土器よりも古いと考古学は教える。と言っても驚くにはあたらない。なぜならサル、トリ、クモ、ハチでさえある意味で編むようなことをするからである。
中国大陸で出土し・た甲骨文字や、わが国の古事記から推測するに、籠は初め実用的な物ではなく祭器であったらしい。その痕跡が九字、籠目、鳥居、安倍噌明判、ペンタグラムなどの魔除けとして今も目にすることができる。
そして人はタブーを侵してこの祭器の図案を剽窃し、布や器や小屋や船などに応用し世俗化してきた。文明はいつもこのようにして進歩する。
「編む」とは直線材を交差させ部材相互の摩擦だけで安定した平面材を構成することである。我々の身のまわりの人工物はほとんどが面で構成され、面は直線部材で構成されている。つまり籠の発明は文明を根底から支える、最も基本的な技術といえるだろう。
従来、その基本的な編み方として3系統が知られていた。すなわち
1 縦糸と横糸による2回対称の系列
2 3回対称の籠目
3 アモルファス(でたらめ)な乱れ編み
の3種類である。3は芸術家や動物の得意とするところで、再現性に欠けるからここでは問題にしない。我々が日頃なじみ産業化されているのは1と2の系列であるが、主に2回対称の系列を人類は採用し環境を整備してきた。
これは“必然だった”と言うよりもむしろヒト特有の文明のタイプと考えるべきかも知れない。だから人間は四角いものばかり作るのである。そしてこのような生活空間に住む我々の頭の中もおそらく四角いカチンカチンの世界であろう。デカルトの座標系が良い例で、あれは2回対称の織物の直喩である。
3回対称の籠目もこうしたなかで善戦してはいるが、2回対称の系列に取って替わるにはもはや手遅れであろう。面白いことに籠目は日常的では無い分だけ呪術性が強く残っているように思う。それが5回対称の安倍晴明判ともなると全然実用性がないから、世界中の様々な組織団体がこれを恰好の象徴とし、自らの運命をこの紋章の呪術力に託している。これは真面目な話である。
しかし2重、3重に続く素数である5重に編む方法が明らかになり、そのうえ産業に乗りでもすれば、その象徴のありがたさはかなり失われるだろう。そうあるべきだ。
【方法】
籠を実際に編む前に設計図を作成する。そのためにペンローズタイルを利用する。これに一定の図形処理を施せば目的の設計図が一意的に得られるのである。ペンローズタイルは6次元立方格子を2次元平面へ射影した図形であり、その特長的な性質は「小さな構造がより大きな構造の手本となるような[自己相似な〕階層構造を成す5回対称な非周期的タイル張り」なのであった。従って五勾もその性質を相続する。
設計図作成の全ての行程はフリーハンドで済ませられるほど容易である。
もととなるペンローズタイルが同一であれば、直線材を編むための設計図は一意的に決まる。あとは、この設計図のとおりに実際に直線部材を使って手作業で編めばよい。定規も接着剤もいらない。従来の竹細工の要領である。広く編み込めば編み込むほど正確で堅牢になってきて、編んでいても爽快である。定規とコンパスではなかなか手なずけられなかった5角形も、この籠編みの作業のなかでは手に落ちた感があり、これは掛け値なしに新しい体験である。黄金比などという半端な無理数に思い煩うこともない。準結晶のダイナミックなバランス感覚を追体験する手軽な方法でもある。新しい作業体験はきっと新しい直観を育むだろう。
五勾パターンのシルエットを型にとって、編む代わりに、一体成形の鋳物やコンクリートに応用してもよい。これをハニカム構造に利用すれば、従来になく軽くて強い平面材がえられ、きわめて経済的である。特に航空機やロケットなどの壁体への応用が期待される。
【影響力】
以上の方法で構成された平面材は、直線材が5重にからみ合っているから、あらゆる外力に対して、5方向に延びた直線材が一体となって抵抗する。ゆえに、従来になく粘り強い平面材がえられる。一本の直線材の破局が、全体にとって致命的になることもない。また直線材の継手による強度低下も、従来の平面構成法に比べれば、あまり心配はいらない。したがって、もし航空機の圧力隔壁にこのパターンが使われていたならば、1985年の日本航空ジャンボ機の事故も起こらなかったかも知れない。
原理的にこの5重に編む方法はあらゆる人工物に適用でき、日常の品々から巨大建築物に至るまですっかり5回対称なシステムに作り替えることも可能である。この文明の根底から揺さぶる波及効果は絶大である。もし5回対称性で底入れされた文明が可能だとしたら、そこに住む知的生命は、あれかこれかにこだわる我々よりずっと寛容で柔軟な思考を獲得しており、弁証法を超越しているに違いない。
我々はこの籠の図案を、まるで交響曲を享受するように眺めることができる。 その幻惑的で飽きのこない美しさは教会の薔薇窓の図案にふさわしいだろう。自己相似性に由来するこの全体と部分のアクロバット的な折り合いは、形態上の興味にとどまらず、力学的効果としても確かめることができる。作れば作るほど全体は引き締まり強靭になる。局所は全体を見据える。木を見て森も見る。
私はこの5重に編まれた籠を“五勾”(ごまがり)と名付けた。マガリとは古代において船や器を意味し、また荒目の竹籠の象形である「曲」にも通ずるからである。
自然界の花はなぜか5回対称のものが多い。それは5回対称性が生存競争に強いからというわけでもないだろう。実際はあらゆる対称性の花が平等に存在可能である。ただ5回対称システムに属する形態表現が突出して多様な変化を見せるだけのことである。ここで紹介した“五勾”も、言わば一輪の花に過ぎない。おそらくペンローズタイルはもっと多彩な表現を生み、現実に役立てられることだろう。
こんなことを言うと数学者は怒りだすかも知れないが、工学者にとって素数はおいしい。素数は使用可能なとんでもない「かたちのポテンシャル」を保有していると工学者は嗅ぎ取るのである。ではさらに次の素数、7はどのような構造物を生むのだろうか。
了
1990年10月5日
以上の文章は、特許出願書類を読みやすい形に書き起こし、科学雑誌向けに作成したものである。バスケタリーニュース No.27,
1992に掲載された。
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