K様
ローマでは足を痛めるほどに歩き回りました。実に徘徊し甲斐のある町です。
パンテオンやサンピエトロなど、建築形式で重要なものは何度も足を運びまし
た。
僕は第3GOETHEANUMを設計中に、部屋にこれらの建築図面の拡大コピーを貼
り、常に霊感を受け取ろうとしていました。「大胆に、しかしエレガントに」
と。だからこの建築を訪れることは特別な意味があります。
写真や図面でしか知らなかった作品の中に、実際に入り、触り、一歩進むだけ
で連続した無限濃度の情報が得られるという喜び。
ピエタもガラス越しに見ました。人は偶像を作るべきではないとまじめに思い
ますが、ピエタは破壊するにはあまりにも惜しい作品ですね。
パンテオンでは日中に落とすトップライトの「日の陰」を観察し、日時計でも
あることを確認しました。エントランスの脇ではホームレスの人が昼寝してい
たり、隅で立ちションする人がいたり。日本であんなことしたらお縄です。こ
のおおらかさもローマの伝統なのでしょうか。
コロッセオ周辺では、風化というよりも、人為的な資材流用の痕跡が痛々しく
てなりませんでした。
フォロロマーノでは、あの巨大な一枚岩から切り出した柱を、あのような精度
で、どのようにして立てたのかと、頭を抱えてしまいました。
ローマでは路地をさまようだけでも興奮しますね。
突然、遺跡が出現してびっくりします。しかも遺跡の上に新しい建築が建てら
れ、遺跡が玄関のようにつかわれていたり。完全な形で保存するか、更地にす
るかどちらかの日本では考えられないことです。たとえれば、奈良の石舞台の上にパ
ナホームのアパートメントを建てるようなものでしょうか。
Kさんに教えていただいた場所へ、すべて行ってきました、特にオスティア
はすばらしかったです。
ちょうど日曜日で発掘作業がないことをこれ幸いと、本当は入ってはいけない
であろうところもこっそり入ることができ、存分に冒険ができました。
しかしあんなに広いとは思っていなかったので、半日かけて全体のざっと2/
3しか回れませんでした。
ローマ市内の遺跡では、進入禁止の場所ばかりで、僕はかなり欲求不満に陥っ
ていたので、オスティアでは水を得た魚のように動き回りました。
煉瓦でアーチを組むのが面白くてしかたない、という当時の熱狂が直に伝わっ
てくるようです。
籠を編むような手軽さで嬉々としてアーチを組んでいるといった感じ。
新しいシステムは建築であれ、社会システムであれ、芸術的手法であれ、人を
しばし自由に、そして昂揚させます。
オスティアでは、細部の造形や工夫、装飾もさることながら、僕は都市のイン
フラストラクチャーを享受しました。
半日で数十年分を生活したような充実感です。
何世代に渡る生活の痕跡は、都市を魅力ある作品にします。この「味」は個人
建築家がいくら設計したくても決して設計できないものです。現在でもそのよ
うな魅力的な集落は世界各地にみられ、営まれていますが、しかし現役の集落
では、個人住宅の奥の奥(私生活)まで探索することはできません。
ですからこのような集落が遺跡として残り、歩いて探索できることはきわめて
希で、貴重な体験だと思います。
僕は20年前に長崎県の軍艦島を探検したとき、同様の感想を持ちました。
ニューロ・アーキテクチャ館林へ来て下さったKさんなら分かっていただ
けると思うのですが、実は僕はこういう作品を作りたくて仕方がないのです。
日没時には、どこからともなくホイッスルの音が響き、観光客は羊飼いに追わ
れる子羊のように追い立てられ、この場を去らねばなりませんでした。でもこ
の遺跡の一角に息をひそめていれば見つかりはしないでしょう。
これだけの規模だと、管理したくても管理し切れませんよね。
また訪れたい処です。
ローマでは結局5泊しました。市内を一日中歩いた上に30分遅れの超満員バ
スに乗り、財布をすられたなんてこともありました。短期間でしたが、ローマ
の酸いも甘いも存分に味わうことができました。
日詰明男
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