オスティア
Ostia Antica, Rome

September 2002.

K様

ローマでは足を痛めるほどに歩き回りました。実に徘徊し甲斐のある町です。 パンテオンやサンピエトロなど、建築形式で重要なものは何度も足を運びまし た。
僕は第3GOETHEANUMを設計中に、部屋にこれらの建築図面の拡大コピーを貼 り、常に霊感を受け取ろうとしていました。「大胆に、しかしエレガントに」 と。だからこの建築を訪れることは特別な意味があります。
写真や図面でしか知らなかった作品の中に、実際に入り、触り、一歩進むだけ で連続した無限濃度の情報が得られるという喜び。

ピエタもガラス越しに見ました。人は偶像を作るべきではないとまじめに思い ますが、ピエタは破壊するにはあまりにも惜しい作品ですね。
パンテオンでは日中に落とすトップライトの「日の陰」を観察し、日時計でも あることを確認しました。エントランスの脇ではホームレスの人が昼寝してい たり、隅で立ちションする人がいたり。日本であんなことしたらお縄です。こ のおおらかさもローマの伝統なのでしょうか。
コロッセオ周辺では、風化というよりも、人為的な資材流用の痕跡が痛々しく てなりませんでした。
フォロロマーノでは、あの巨大な一枚岩から切り出した柱を、あのような精度 で、どのようにして立てたのかと、頭を抱えてしまいました。

ローマでは路地をさまようだけでも興奮しますね。
突然、遺跡が出現してびっくりします。しかも遺跡の上に新しい建築が建てら れ、遺跡が玄関のようにつかわれていたり。完全な形で保存するか、更地にす るかどちらかの日本では考えられないことです。たとえれば、奈良の石舞台の上にパ ナホームのアパートメントを建てるようなものでしょうか。

Kさんに教えていただいた場所へ、すべて行ってきました、特にオスティア はすばらしかったです。
ちょうど日曜日で発掘作業がないことをこれ幸いと、本当は入ってはいけない であろうところもこっそり入ることができ、存分に冒険ができました。
しかしあんなに広いとは思っていなかったので、半日かけて全体のざっと2/ 3しか回れませんでした。
ローマ市内の遺跡では、進入禁止の場所ばかりで、僕はかなり欲求不満に陥っ ていたので、オスティアでは水を得た魚のように動き回りました。
煉瓦でアーチを組むのが面白くてしかたない、という当時の熱狂が直に伝わっ てくるようです。
籠を編むような手軽さで嬉々としてアーチを組んでいるといった感じ。
新しいシステムは建築であれ、社会システムであれ、芸術的手法であれ、人を しばし自由に、そして昂揚させます。

オスティアでは、細部の造形や工夫、装飾もさることながら、僕は都市のイン フラストラクチャーを享受しました。
半日で数十年分を生活したような充実感です。
何世代に渡る生活の痕跡は、都市を魅力ある作品にします。この「味」は個人 建築家がいくら設計したくても決して設計できないものです。現在でもそのよ うな魅力的な集落は世界各地にみられ、営まれていますが、しかし現役の集落 では、個人住宅の奥の奥(私生活)まで探索することはできません。
ですからこのような集落が遺跡として残り、歩いて探索できることはきわめて 希で、貴重な体験だと思います。
僕は20年前に長崎県の軍艦島を探検したとき、同様の感想を持ちました。 ニューロ・アーキテクチャ館林へ来て下さったKさんなら分かっていただ けると思うのですが、実は僕はこういう作品を作りたくて仕方がないのです。
日没時には、どこからともなくホイッスルの音が響き、観光客は羊飼いに追わ れる子羊のように追い立てられ、この場を去らねばなりませんでした。でもこ の遺跡の一角に息をひそめていれば見つかりはしないでしょう。
これだけの規模だと、管理したくても管理し切れませんよね。
また訪れたい処です。

ローマでは結局5泊しました。市内を一日中歩いた上に30分遅れの超満員バ スに乗り、財布をすられたなんてこともありました。短期間でしたが、ローマ の酸いも甘いも存分に味わうことができました。

日詰明男

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