私たちはなぜ四角い家ばかりに住んでいるのか?
都市計画家はなぜ集積回路のような直交座標系の設計しかできないのか?
なぜ私たちは、主語、述語、目的語という主客の関係しか語れないのか?
なぜ、殆どの音楽家は、五線譜の上にほぼ一定のテンポで曲を書くのか?
多様に見える民族音楽に共通の形式とは?
なぜピアノの白鍵と黒鍵は非対称なのか?
ピアノは合理的な楽器なのか?
平均律は普遍的な音階か?
純正律に戻るべきなのか?
万能の道具は存在するか?
画家はなぜ四角いキャンバスに肖像画を描くのか?
人工生命は可能か?
芸術は可能か?
人は何をすべきか? 何を仕事とすべきか?
みなさんは以上のような疑問を抱いたことがあるでしょうか?
私たち人間は、道具を使い、それを使いこなし、熟練してゆく能力があります。
そしていつしか、道具を使っているという意識すら上らないところまで血肉化されます。書道家の筆など、すぐ思いつかれるでしょう。
それよりもっと強力な例があります。それは私たちの言語です。
発話に関しては誰もが巨匠レベルだと私は常々思っています。
「熟練」は言うまでもなく、一種神秘的な私たちの能力の一つではありますが、反面、道具の限界を知らずにいつまでも同じものを使い続けていると、それがまるでオールマイティであるかのような錯覚に陥る危険もあります。
「熟練」という言わば“癒着”から一時離れ、新しい道具をたどたどしくも試してみることは、どんな時代のどの世代の人にとっても必要であるように私には思えます。
これが先ほどの疑問に対する答えです。すなわち、この世界に完全無欠のオールマイティな道具など存在しません。
ただ、使ってみるに価する道具があるばかりです。そしておそらく、未知の道具は無限にあることでしょう。
「すべては語られている」とある詩人は嘆きましたが、私はむしろ「現実は人によってまだほとんど記述されていないに等しい」と思っています。私はそこに人の自由を感じます。
頭だけでなく手を使った幾何学の冒険は、“新しい道具”に出会う格好の契機です。
新しい幾何学構造に馴染むにつれ、従来の道具の限界が反照的に明らかになることでしょう。
この講義では、新しい表現形式の可能性を、肌で感じ取っていただければと思います。
講義の主な内容
●黄金比とは
黄金比の迷信:黄金比はオールマイティか、単なるエンギモノか
自己言及型方程式/デカルトのコギト/連分数展開/フラクタル原器
最高の不協和音
●2次元の準周期的造形
ペンローズタイル
準周期的な平安京(作品)
2次元キラル格子
従来の技術2軸編み、3軸編:四千年前の発明
5軸編み「準周期的平面キラル格子:五勾(ごまがり)」:九年前の発明
●3次元の準周期的造形
3次元ペンローズタイル
GOETHEANUM 3(作品):徹底的に5角形的な建築形式
3次元キラル格子
従来の技術 3軸織/4軸織
6軸織
自立する立体構造「六勾(むまがり)」(作品)
ストーンヘンジとバンブーヘンジ:四千年前に発見された建築様式と六年前に発
見された建築様式
プレアデス:折り畳める星
PRE-PLEIADES:5角多様性(Pentagonal Diversity))
Pentagonal Gravity:3次元的な螺旋で構成された星
Woven Scissors Technic:折り畳める構造
●従来の音楽形式の特徴
協和音の追求/オクターブを基準とする音階と音色/周期的リズム
●1次元の準周期的造形
植物の黄金比/ミニマム弁証法/円周黄金比分割/フィボナッチ・シークエンス
音響的な効果(シンセサイザーとコンピュータによる実演)
新しい音階/新しいリズム/新しい音色
宇宙鍵盤: Universal Keyboard/利休鼠/エッシャーのコントラスト/黄金比の
太極図
音楽の一般的な形式
平均律と準正律/非整数拍子/任意の音階/和言葉と形而上学用語/
有理数と無理数/12音技法のナンセンス/音楽の革命
実験「フィボナチ・ケチャック」:惑星の運行としての音楽
民主主義の階段:「黄金比の音楽形式」を“土木彫刻”として表現する
魔方陣と黄金比の意外な関係
●展望
準周期的構造の位置づけ/ゲーデルを越えて/スペンサーブラウンの「形式の
法則」/三段論法の限界/論理の二次方程式/有理数と無理数/リゾーム/
6次元の影/ウロボロス・エンジン搭載のピタゴラス主義/造形的方法/
曼陀羅と幾何学と建築/neuro-architecture 構想/アーティキュレーション/
バリ島の教訓/土木工事/これは芸術ではない
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