サント・シャペル
Saint Chapelle, Paris

September 2002.

 一ヶ月間のアメリカ行脚を終え、再びヨーロッパへ戻った。
 悪夢のようなシャルルドゴール空港をさっさと脱出して、パリ市街へ向かう。車窓からは、良きにしろ悪しきにしろ、眼を引く建築がずらずら。人工物で見るべきもののなかったアメリカとは雲泥の差である。

 北駅近くの宿を探す。40ユーロで即決。これを柳瀬順一君とシェアする。英語が通じないが、なんとかなるであろう。20年前に大学で少し学んだフランス語をはじめて実用した。インターネットカフェも歩いて数分の場所にある。
 宿が決まって直ちにポンピドゥーセンター詣でに出かける。25年前レンゾ・ピアノがパリのど真ん中にこれを作って物議をかもした事は、鮮烈に憶えている。
 実際に行ってみると、予想以上に面白かった。総じてハイテク建築は、古びるのが早いものだが、ポンピドゥーセンターは20年以上たっているのに、オーラをまったく失って無いように見えた。この建築は怪物かもしれない。大道芸のできる広場をとりこみ、現代美術の広々とした展示空間や、充実した図書とインターネット環境を市民が自由に利用できる。海外の主要な公共テレビ放送もリアルタイムで視聴できるようだ。

 目抜き通りを歩くと、市が立っっていた。
 骨董やボロ市にまじって食い物屋台が立ち並ぶ。中でも白黴の生えたカツオブシのようなソーセージに眼を奪われる。
 食してみたいと眺めていたら、ふとみると隣に乳児を抱いた、黒髪で浅黒いきれいな顔だちの女性が店主にソーセージ試食をねだっている。歳の頃は20代だろうか。店主からあっさり断られ、ムッとした敵意だけを残して彼女は立ち去って行った。後を見送ると、なんとその女は靴をはいていない。パリの糞まみれの道を素足で歩き、もう真っ黒になっている。
 僕は後を追わずにいられなかった。彼女は、屋台で片っ端から試食をねだり、断られつづけていた。 骨董店のぼろ布の前で彼女は長時間立ち止まり、レースのスカーフを選びに選んで、赤ん坊の頭にかむらせ、お金を払わず、平然と立ち去って行った。
 美醜入り交じったこの都市に、やはり僕は惹き付けられずにはいられなかった。
 大道芸をどこでやるも自由、東洋人が酒を売るのも自由、物乞いも自由。とある駅のホームではアコーディオンでショパンを完璧に弾きこなしている若者がいた。なのにひとりも観客が集まってこない。パリの大道芸稼業は相当にきびしいことが察せられる。この街では、アコーディオンはうまくて当たり前なのだろう。こんな国で才能を潰さなくても、どうせ同じ大道芸で身をたてる覚悟なら他の国に行けば認められるだろうに。
 それにしても物乞いをする子連れの女性が多いのはこの国の社会問題だとおもう。

サント・シャペル
 ノートルダム寺院のプロポーションはどうも好きになれない。
 そんなノートルダム寺院を後目に、遠くに見えるスレンダーな尖塔に惹き寄せられるように僕はサント・シャペルへと向かった。ところがその足下と思しき場所に辿り着くと、サント・シャペル本丸は官僚的な建造物に周囲をしっかり包囲されていて、垣間見ることさえ出来なかった。
 10人ほどの一般人が並んでいるのでそこが入り口だと分かったが、誰もいなければ従業員通用門である。X線を使った念入りな荷物検査と厳しい警備をクリアして敷地内に入る。ようやく全貌を眺めることが出来た。規模は意外に小さい。
 寺院内部に入るには7ユーロの入場料を払わなければならないようだ。
 この建築は建設に6年しかかかっていないそうだが、なかなか完成度は高い。グラスハウスならぬステンドグラスハウスである。
 半地下のリヴ構造も美しいが、本堂の全周囲ステンドグラスには感嘆した。限界に挑んだ建築である。薔薇窓は6回対称。壁にはクロスが貼られ、まるで宝石箱のような建築である。僕は建築におけるこうした装飾を好まないが、この寺院の場合はあまりそれも気にならないから不思議だ。構造美が遥かに勝っているからだろう。装飾が鼻に付くのは、世の殆どの建築がそうであるように、構造の貧弱さを装飾でごまかそうとしているからだろう。これは建築に限ったことで無く、絵画や文芸、さらに言えば人の生き方にも言えることであろう。

 入場券を買うとき、ふと壁のポスターに眼をやると、どうやらこの聖堂内で次の日の夜7時からコンサートが開かれるらしい。曲目はヴィヴァルディだ。ある建築空間に興味を持つと、そこでの音響を聞きたくなるのは人情である。25ユーロと少々高かったが後日あらためて出直すことを決意した。

 30分前に会場に着く。相変わらずセキュリティチェックはきびしい。
入場券を買って列に並ぶと、開演15分前ごろ演奏家らしき人が楽器ケースをかかえてひとりふたりと聖堂袖へ入って行く。こうしたコンサートが日常的であることを物語っている。

 午後7時。いよいよ開場である。先日は立ち入ることの許されなかったメインエントランスから入れたのは嬉しかった。
 聖堂にはパイプ椅子が並べられ、200人ほどの観客が集まった。
 演奏者は7名。3台のバイオリンとビオラ、チェロ、コントラバス、そしてクラヴサン。本来は祭壇があるべき位置に、50cmほど高く仮設舞台がこしらえられてあった。先ほど袖に入って行った演奏者が、開演ギリギリまでクラヴサンの調律を行なっていた。主催者がプリントアウトしただけのプログラムを売り歩くがあまり売れ行きは良く無いようだ。

 演奏が始まる。
 まずおどろいたのは際立ったコントラバスの響きである。バイオリンの伸びも気持ちがいい。正直言って、今まで聴いたコンサートで耳にした音響で一番良くおもえた。

 そういえば昨日はとなりのノートルダムのミサに参加したが、あそこも別の意味で音響はよかった。薔薇窓を殺してまでパイプオルガンを設置しただけのことはあると思う。聖堂がちゃんと楽器として響いていた。

 それにしてもサント・シャペルの残響は絶品である。1曲目が終わる間際、極限まで残響の減衰を聞き取りたいと僕は最大限の集中力で耳を凝らしたのだが、悲しいことに気の早いおやじの拍手でかき消されてしまう。消え入る直前に無限の濃度が存在すると言うことを知らないのか。。。。むかっ! つられて拍手が沸いたところをみるとフランス人の聴覚に疑問を感じざるをえない。

 コンサート中盤、聖堂は日没とともに薔薇窓から差し込む虹色の光に満たされた。 なんという贅沢だろう。僕が今聴いているのは光なのか音なのかわからなくなる。

 コンサート終了後、あのコントラバスの音色が際立っていた秘密がひょっとして仮設舞台の構造にあるのでは、特別な共鳴箱としての機能も兼ねているのではないかと思い、観客が全員退出するのを待って、僕は好奇心を押さえきれずに舞台へとなにげなく近寄り、舞台に被されていたクロスの裾をめくってみた。舞台は単なるスチールのフレームで、箱にはなっていなかった。
 ということはやはり建築の構造に秘密があるという結論に至った。

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